日本に曹洞宗を伝えた道元禅師は「身心一如」という言葉で、「体と心は一つですよ」と説いている。体と心のどちらを先に整えてもいい。大切なのは、体と心の間に「好調の循環」をつくることだ。とはいえ、どうやって心を整えていいかわからない人も多いだろう。だからまず、身なりや立ち振る舞い、所作など、「身」を整えよう。そうすれば、「心」は自ずと整っていく。
仏教には「三業を整える」という言葉がある。「業」は「行為」を指し、「身業(行動・振る舞い)」「口業(言葉)」「意業(心)」の3つがある。立ち振る舞いが美しく、身なりが整っていれば、言葉づかいがていねいになり、心も整うと考えられている。
「三業」を整えると「善因」が生まれ、「善果」に結びつくとされる。よい因を結べばよい結果になる「善因善果」のサイクルをつくるには、「三業」を整えられるか否かによる。心を込めてていねいに所作を行うことが、禅の考える、簡素で自然な美しい振る舞いとされる。所作を整えれば「すべて」が整うのである。
禅僧にとって、坐禅、読経、掃除、食事、学習など、生活のすべてが修行である。なかでも「作務」と呼ばれる掃除や畑仕事は、特に大事である。
インドで仏教が生まれた当初は、僧侶が自ら食べ物をつくることが戒律で禁止され、食事は人々からの布施で賄われていた。仏教が中国に渡り、禅寺が人里離れた山中に建てられるようになると、禅僧たちは田畑を耕し、自給自足するようになった。そうした作業を日常的に行うべき重要な修行と定めたのは、8世紀後半から9世紀初頭に生きた百丈慧海禅師である。百丈禅師は、「一日作さざれば一日食らわず(やるべきことをやらなければ、食べることはできないんだよ)」という言葉で、やるべきことを淡々と行い、規則正しく生活することの大切さを伝えている。やるべきことを淡々とやることで、自然と毎日が整っていくだろう。
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