著者が5歳のときのこと。保育園でいじめられ、メソメソと泣き帰ってきた著者に、母はこう言った。「男のくせにメソメソしやがって。情けない!」そして、やられたらやり返すことを要求し、その予行練習として母を殴るように言った。大好きな“ママ”を殴ることは嫌だが、ここで言う通りにしないと余計に怒られる。著者は泣きながら母の頬をベチッと叩いた。
いじめられて負けっ放しで帰ってくるのは絶対に許さない。悔しければやり返せ――。5歳の頃のエピソードはその一例であり、母の方針は一事が万事そうだった。
著者は今でこそリーディングジョッキー(最多勝利騎手)をはじめ、あらゆるタイトルを手にしたトップ騎手である。しかし小さいころは体がとても小さく、ケンカや相撲などでは負けてばかりだった。著者の人生は“負けからのスタート”であり、そこからいかに挽回していくかを考えることの繰り返しであった。
そんな母より怖かったのが、父である。著者の父は、ジョッキーを経て調教師になった川田孝好氏だ。父は大井競馬の騎手としてデビューし、その後、佐賀競馬に移籍。著者が小学2年生のときに、調教師に転身した。子供の頃の父は怖くて話しかけられない存在であり、父の機嫌を損ねないように過ごすのが暗黙の了解であった。
著者は一度、父の逆鱗に触れてボコボコにされたことがあった。それは競馬学校の1次試験に合格したあと、ビリヤード場で遊んでいたときのことだ。まだ2次試験が控えているのに、遊んでいたことが許せなかった父は、著者の意識が朦朧とするまで殴り続けた。父はジョッキーとしては大成したとは言えず、この世界がどれだけ厳しいかを身をもって知っていたのだ。
著者はこのような激しい両親に育てられたが、親から愛されていないと思ったことは一度もない。母には優しい面があったし、父のことは競馬人として尊敬していた。大人になった今は、父とよく話をするようにもなった。
両親と過ごした時間こそが、今の“ジョッキー川田将雅”のベースを作っている。今でも両親より怖い存在に会ったことはなく、だからこそどんな立場の人とも渡り合うことができている。両親の存在そのものが、著者の強みの1つなのである。
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