私たちは小さいときから、忘れることはよくないこと、困ったことだと思いこまされている。勉強したことはよく覚えておけ、忘れてはいけない、と。
覚えているかどうかを確かめるために試験をする。記憶力がよいと頭がいいとされ、反対に忘れっぽいと頭が悪いと決めつけられる。
しかし忘却は困ったことではない。それどころか記憶と同じくらい大切な心的活動だと考えるべきである。記憶と忘却は、「車の両輪のようなもの」と言うこともできるが、呼吸のようなものと考えた方が妥当だ。息を吸わなければ吐けないように、忘却しなければ記憶することもできない。
記憶が活動し成果をあげるには、忘却が不可欠である。両者が協同してはじめて健全な学習、習得ができる。
忘却とはやみくもに、すべてを忘れてしまうことのように考えられている。しかし実際は百パーセントの忘失ではない。忘れるところと、記憶のまま残す部分とを区別している。取捨の判断はきわめて個人的、個性的で、忘れ方は人によってみな違う。完全な記憶は、没個性的だともいえる。
単純な記憶においてコンピューターにまさる人間は存在しないと言ってよい。記憶だけならコンピューターにかなわない。しかし、忘却と記憶のセットで考えれば、人間はコンピューターのできないことをなしとげる。
忘却が個性化をすすめ、創造的なはたらきの基盤であることに目を向けないとすれば、それは知的怠慢である。
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