ジェイドがロンドンのホームレス専用ホステルの退去通知を受け取ったのは2013年8月のことだった。ロンドン東部のこの地区は、もともと廃棄物処理場や倉庫が立ち並ぶさびれた地域だったが、2012年のロンドン五輪でオリンピックパーク用地として大掛かりな再開発が進められ、一大ニュータウンに生まれ変わった。小ぎれいになった街から貧乏人を追い出して地域社会を浄化する。こういうことは「ソーシャル・クレンジング」と呼ばれるらしい。
政府が始めた緊縮政策のせいで、区は福祉予算を削減し、生活保護受給者を締め付けにかかっている。行政はもうお金を出さないから自分たちで何とかしろということだ。それができないからホステルにいるというのに、いったいどうしたらいいのか。
数日前、区役所の住宅課では民間の賃貸住宅を借りるしかないと言われた。同じホステルにいるギャビーとシンディとフラットをシェアしたらなんとか借りられるかもしれない。物件に片っ端から電話してみたが、生活保護を受給していると伝えると、見学すら受け付けてもらえなかった。もはや路上に寝なさいと言われているも同じだった。
ジェイドとギャビーとシンディが次に区役所を訪れたとき、それぞれが別の地区の賃貸物件を勧められた。住宅課はついに、母親たちにロンドンに住むことを諦めさせ、家賃の安い地区に引っ越しさせようとし始めたのだ。家族も友人もいない地区でシングルマザーが子どもを育てられるだろうか。
新聞をよく読んでいたギャビーは、家が不足していると言われているロンドンは、じつは空き家だらけだという実態を知っていた。投資家が転売用に購入した家を、空き家にしたままにして値上がりを待っているのだ。
低所得の人々が住んでいた地域が再開発された結果、住宅価格や家賃が高騰し、もとから住んでいた貧しい人は追い出されていく。「ジェントリフィケーション」はここでも始まっていた。
「ファック・ジェントリフィケーション!」
ギャビーがFワードを放つと、職員がぞろぞろ出てきて「虐待的」な言動をやめるよう警告した。じゃあ、ホームレスをシェルターから追い出すことや、シングルマザーを別の地区へ引っ越させるのは、虐待的ではないのか? そう問いかけても、「リスペクトに欠ける言動は許しません」と突っぱねられた。
生活保護の世話になっている人間として、ジェイドはいつも「社会へのリスペクト」を迫られてきた。生活や待遇に不満があっても、不平を言ってはいけない。そんな態度は「わがままでリスペクトが足りない」と。
ジェイドがもとのように保育士として働けたとしても、ロンドン東部の部屋を借りて暮らしていくほどのお金を稼ぐことはできない。ジェイドのような人間は、仕事をしていようがいまいが、生まれ育った街ではもう生きていけないのだ。「リスペクトしろ」と言うが、それは「身分をわきまえて沈黙しろ」の言い換えじゃないのか。
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