ウェブサイト「スタディー・ハックス」で学術的な助言を提供するキャル・ニューポートによると、多くの学生たちは、情熱を見つけられずにいたり、逆に情熱を注ぐ対象が多すぎて途方に暮れていたりするそうだ。ニューポートはそうした現状に対し、情熱は自ら創り出すものであって、見つけるものではないと説く。
もしあなたが今の仕事を好きになれず、「情熱は『見つけるもの』であり、自分が情熱を注げる対象がどこかに眠っているはずだ」と考えているなら、ほかの仕事を探すしかない。だが情熱は何らかの技能を修得したときに感じるもので、苦労せずに得る魔法のようなものではない。そうであれば、今の仕事を別の方法でやってみるのも有力な手立てだと言えるだろう。
ニューポートはまた、「しっかり取り組めば、ほとんどのものが単なる興味の対象から情熱の対象に変わる」とも言っている。まずは目の前のものに全身全霊で取り組もう。
ある研究によると、社会貢献をすると、多額の金品を得たときと同等か、それ以上に大脳が刺激されるという。
では、私たちは誰にどのように寄付すればいいのか。単純に好ましい相手を選んでいいのか。本当にお金に困っている人を見分けるにはどうすればいいのか……。
これは実に自己矛盾的な行為ではないだろうか。無私無欲の行為をしようとしながら、同時に私利私欲の最たるものである満足感を求めているのだから。
われわれは、職場を辞めねばならないなど、何か恐ろしい予感のする機会に遭遇したとき、「きっと後悔するのだろうな」と考えがちだ。だが真実はその反対だ。後で悔やむのは、何かしたときではなく、何もしなかったときなのである。
ここで、経済学の一分野である「(意思)決定理論」を用いて、2人の投資家の後悔を推測してみよう。1人は、手持ちのA会社の株式を売ってB会社の株式に買い替えなかったために多額の利益を得る機会を逃す。もう1人は、手持ちのB会社の株式を売却してA会社の株式に買い替えたがために多額の利益を逃してしまう。
ほとんどの人は、先を見越して株式を買い替えた後者のほうがより大きなショックを受け、後悔していると想像するだろう。実験でもその通りの結果が出ている。
ところが心理学者のニール・ローズは、著書『後悔を好機に変える イフ・オンリーの心理学』の中で、現実にはこれと異なる現象が起こっていると書いている。「あなたが自分の意思で何らかの行動を起こした場合、その結果が思わしくなかったとしても、その失敗がいつまでもあなたの心を悩ませ続けることはないだろう。あなたは、その失敗を反省し、何らかの言い逃れをし、いつものように行動して、そして忘れてしまうだろう。しかし、何も行動を起こさなかった場合は、そうはいかない。そうなれば、あなたはこれからずっと長い間、自分の不作為を後悔することになるだろう」と。
なぜわれわれは「何も行動を起こさなかったこと」を悔やむのか。それは、「何も行動を起こさなかったこと」は、「ああしておけば良かった」「こうすることもできた」などと、無限の可能性を感じさせるからだ。われわれは「やらなかった後悔」より「やった後悔」を選ぶべきなのである。
孤独から解放されるには誰かと繋がるのが効果的だ。だが皮肉なことに、孤独は他人との繋がりからわれわれを遠ざける。空腹は食事を、疲労は睡眠を誘う一方、孤独はわれわれをさらなる孤独へと追いやろうとするのだ。誰かから友好的な申し出をされても、われわれは「ますます孤立するのではないか」と警戒し、誘いに乗ることをためらう。
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