生成AIの登場は「書く」ことを大きく変えてしまった。OpenAI社のChatGPTは入力側のオーダーを反映し、キャンプの案内文から小説の続きまで様々な文章を出力することができる。こうしたAI時代において、我々が書く力を身につける必要性はどこにあるのだろうか。まず本書で提唱している3つのキーコンセプトに基づき説明したい。
1つめは構成力だ。自分の手持ちの知識を使って、まっさらな紙の上にどのような文章を構築していくのか。それは、書く力がないと手をつけることすら難しい。試験の作文などを通じて得られた文章構築能力は、プレゼンテーションの場などで筋道の立った話をするときにも大きな力を発揮する。
文章は「書けば書くほど楽になる」が、それ自体は知的活動の中でもかなり難しい部類に入る。だから文章における構成力は、知的活動全体に対する自信につながるはずだ。
2つめは頭の「粘り力」だ。ものごとを簡単に投げ出さない忍耐力を意味する。書くことは無意識のうちに、知的なタフさを鍛えている。書くことを放棄すると、知的活動でもっとも重要な「考え続ける」ことまで放棄することになってしまう。
また、書くことは自分が直面している問題を頭の中で整理することにもつながる。そうするうちに、「自分ができることを考えても仕方ない。今できることはこれなのだ」と悟って、心が安定する。「粘り力」はストレスの軽減にも役立つのだ。
頭の「粘り力」があれば、「物事に対処する力」も得られる。しかし、現代の人々は飽きっぽくなっている。動画配信サイトではより短い再生時間が好まれ、じっくり味わうことなく、次から次へと流れてくる刺激そのものに囚われる。こうした時代にこそ、1つのテーマについて長い時間をかけ、しっかりと省察する卒業論文などは知力を成長させるよい機会となる。世の中が複雑化した今、「知的な足腰の鍛え方」には強い需要がある。文章トレーニングはいわば知力の筋トレであり、4000字を書けるようになれば達成感が得られるはずだ。
メリットの3つめは「自己形成」である。人が自己形成において成長するタイミングは、やはり「経験」をしたときだろう。自分の体験を文章にすると、その意味が整理されて、経験として定着する。そうすると、「これがいい経験になったのだ」と後で振り返ることができる。
書くという行為は、「自分と向き合うこと」だ。そうして自分の内側を、自分の身体を使って外に表現する。それを読むことで、「自分はこう考えていたのか」と気付かされることすらある。
文章を書くことで、内省し、自分という人生のスタイルを形成する。文体とは自分らしさにほかならず、それが出来上がるプロセスは自己形成の過程そのものといえるだろう。
「書くことは走ることに似ている」。速く走ったり長い距離を走ったりするには技術が必要だ。著者は「400字詰め原稿用紙1枚が1キロ」だとする。10キロくらいならトレーニング次第で誰でも走れるようになる。だから、原稿用紙10枚を書ける技術は、「長い文章を書く基礎的な力」なのだ。
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