「熟達」とは、一般的には特定の領域において技能を極めた状態を指す。だが、ただ技能を追求するだけで熟達に至ることはできるのだろうか。
著者が「熟達」を意識しはじめたのは、大学でスランプに陥っていた頃だった。練習量を増やしても成果は出ない。思い悩んでいたとき、短距離コーチだった高野進さんに出会った。高野さんは著者の走りを少し見て「足を三角に回しなさい」と言った。まったく意味がわからなかったが、言われたとおりにしばらく練習してみると、動きが変わり、競技に対する考え方までもが変化していった。
数年経って「走る」ことのメカニズムを理解した著者は、最初に受けた指摘が、他の多くの問題の原因だったことに気づいた。高野さんはなぜすぐに問題の核心を見抜くことができたのか。この不思議な学びの体験は、技能にだけ目を向けていたら起こらなかった。
本書では、熟達を次のように定義する。「熟達とは人間総体としての探求であり、技能と自分が影響しあい相互に高まること」
学ぶということは、人間総体を高めることであり、この過程が熟達の道である。
熟達を探求するプロセスは一本道ではなく、段階に分かれている。著者はずっと、矛盾する教えが両立することを不思議に思っていた。「質が大事」「量が大事」や、「考えろ」「考えるな、感じろ」はいずれもよく聞く教えだ。
矛盾するように思える教えが両立するのは、段階ごとに重要なことが異なるからだ。著者はかつてスランプに悩んでいたが、今ならやり方を変えなかったことが問題だったのだとわかる。成長には段階があると理解しておくことが重要だ。
本書では熟達のプロセスを「遊(ゆう)」「型(かた)」「観(かん)」「心(しん)」「空(くう)」の5段階に分けている。このプロセスには、領域を超えた普遍的な要素がある。
3,400冊以上の要約が楽しめる