三重県の公立高校で教鞭をとる東拓司は、初任の上野高校で野球部を指導し、4年目の夏には県大会ベスト4に導いた。
公立校の教師に異動はつきものだ。「思いきり部活ができる学校に行きたい」と希望を伝えていた東は、校長に呼び出されてこう告げられた。「すまん、キミの野球人生を終わらせてしまった……」。
異動先は「白山」だった。1年前の夏、上野高校と対戦してコールドで勝ったチームである。白山は野球が弱いだけでなく、教育困難校と悪評高い学校でもあった。東の目の前には、黒いもやが立ち込めてくるようだった。
白山高校は、1959年に開校した歴史ある学校だ。かつては全校生徒1000名を超えた時代もあったが、2010年以降は1学年120名の定員を割るようになった。三重県内の公立高校偏差値一覧によると、白山は「40」と最低ライン。ここの生徒の多くは、志望校に落ちて「ほかに行く学校がないから」と仕方なく入学してくる。地元の人からも「ゴミを散らかすし、田んぼに隠れてタバコを吸う子もたくさんいる」と、煙たがられる存在であった。
2013年4月、東は白山へと赴任した。
「どうせコールドで負けるんやから、壮行会なんてやらんでええやろ!」と、体育館に大声が響いた。2013年夏の三重大会に挑む野球部の壮行会、壇上には新監督の東や11人の野球部員たちが上がっていた。
東の赴任時、野球部員は5名で、4名の新入生が入部した。東は退部した生徒をひとり呼び戻し、自分が担任を務めるクラスで中学時代に野球部だった生徒に頼み込み、なんとか頭数を揃えた。
初戦の対戦相手は、三重県最南端にある県立紀南高校。三重大会は5回終了時に10点差、7回終了時に7点差がついていたらコールドゲームになる。東は、地理的に生徒が集まりにくい紀南を相手に「さすがにコールドにはならないだろう」と踏んでいた。
しかし、ゲームは「地獄」であった。3回表を終えた時点では2対2の同点であったが、そこから白山守備陣は四球やエラーを連発し、失点を重ねていく。5回裏には3点を奪われ、2対12のコールドゲームが成立した。
皮肉にも、壮行会でヤジを飛ばしたヤンキーの予言は的中してしまった。
東が着任する前、野球部のグラウンドは荒れ果てていた。フィールドこそ広いがホームベースは見当たらず、外野部分には膝丈の雑草が生い茂り、とても野球ができる状態にはなかった。東は着任直後から環境整備に取りかかり、耕運機で土を掘り起こしてレーキでならし、金属製整備具をつけた軽トラックを牽引して、野球ができるグラウンドを作っていった。
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