「話せばわかる」ということを、多くの人は当たり前のことだと思っている。理解できないけれど興味があることがあったら詳しい人に説明してもらおうとするし、揉め事が起こればまずは話し合って解決しようとする。もちろん、話す言語が違ったり、世代が大きく離れていたりすればわかり合うのは難しくなるし、高度な専門知識を要する話などはいくら説明を聞いても理解できないかもしれない。
こうした例外はあれど、同僚や家族、友人などの近しい人と、日常的な会話をする場であれば、「話せばわかる」「話すことで、その前より理解を深められる」という前提のもとに動いているはずだ。しかし、何かが伝わらない場合、説明や表現の仕方を改善すれば、本当に伝わるようになるのだろうか。
日常には「伝わらない」シチュエーションが溢れている。わかりやすく説明しているのに一向に相手に伝わらない、過不足なく説明したはずなのに異なるニュアンスで伝わっている、それどころか、思いがけないトラブルに発展していくことさえある。
相手に何かを伝えようとするとき、自分が思い描いていることをそのまま相手の脳にインプットできるわけではない。言語はつねに受け取り手によって解釈され、そうして初めて意味のあることとして伝わる。思いと解釈が一致しているかは、話し手にも聞き手にもわからないのだ。
言葉を発している人と受け取っている人とでは、「知識の枠組み」も違えば「思考の枠組み」も異なる。たとえば、「ネコ」という名詞を聞いたときでさえ、思い浮かべるものは別物である可能性が高い。こうした「知識や思考の枠組み」のことを、認知心理学では「スキーマ」と呼ぶ。
スキーマとは、相手の言葉を理解する際、何かを考える際に裏で働いている基本的な「システム」のことである。外国語を例にとるとわかりやすいが、ある単語が持つ意味の体系は言語によって異なる。英単語の「wear」は日本語の「着る」とまったく同じ意味なわけではない。「wear」は衣服だけでなく、メガネや化粧などにも用いられ、「身につけている状態」を表すことができる。しかし、日本語の「着る」とは異なり、「着る動作」には「wear」を使うことはできない。したがって、日本語の文を書いて、1語ずつ英語に置き換えるだけでは、自然な文を作ることはできない。つまり、外国語を学習する際には、そのスキーマごと学ばなければ、自然に使いこなすことはできないのだ。
人間はあらゆる物事をスキーマを用いてとらえている。相手が「わかった!」という態度を示していたとしても、相手のスキーマに沿って独自に解釈されている可能性は否定できない。また、自分が「わかった!」と思ったときにも、相手の意図したように理解できていない可能性があることを忘れてはならない。
ここで、「言っても伝わらない」を生み出す2つの勘違いを紹介しよう。
3,400冊以上の要約が楽しめる