東京オリンピック招致のプレゼンテーションのため、ロシアのサンクトペテルブルクへ行く予定が間近に迫る頃のことだった。猪瀬氏は、妻、ゆり子さんのちょっとした異変に気がついた。物の名前が出てこない。たとえば「九時十五分」を「九時十五トン」というふうに、誤変換のような言葉を使う。
病院での検査結果は衝撃的なものだった。悪性の脳腫瘍。余命数カ月。脳のむくみをとるために、腫瘍の中心部を除去し、脳圧を下げなければならない。しかし、根本的な治療は難しく、その後は放射線治療で腫瘍の腫れを抑えるという。治療は、余命を延ばすためのものだ。
本人にはひとまず入院しなければならないことを伝え、二人で行くはずだったサンクトペテルブルクへ、猪瀬氏は一人出発した。
いよいよ立候補都市のイスタンブール、東京、マドリードが勢ぞろいして、オリンピック招致のプレゼンテーションの最初の第一歩が踏み出される。スポーツアコード国際会議が開催されるサンクトペテルブルクが、緒戦の舞台だ。スポーツアコード(国際競技連盟)はさまざまな協議の国際団体の連合体であり、IOC委員も数多く役員に名を連ねている。
プレゼンテーション直前、ふと、猪瀬氏は新しいスーツがきついことに気づく。脇から腰にかけて、しつけ糸が残っていた。妻の不在が身にしみた。
東京の財政規模はスウェーデンの国家予算に匹敵するほどのものなのだという。プレゼンテーションでは、東京の財政、財布を落としても戻ってくるほどの治安の良さを前面にアピールした。選手が時間通りに会場に着ける、イベントの運営をきちんとできる、ということは、オリンピック招致に際して大きな利点となるのだ。
帰国して病院へ直行すると、点滴で脳のむくみを抑えられているゆり子さんは、いつもと変わりないように見えたという。
ゆり子さんの病状は、近親者以外には伏せられた。オリンピック招致の大事な時期に、プレゼンテーションのチームに余計な心配をかけることは憚られたため、マスコミに情報が漏れないよう細心の注意を払った。
一時退院し、脳腫瘍であるという事実が告げられたゆり子さんは、2013年6月9日、青いワンピースを着て不安げに、再入院をすることになった。
手術は無事に終了したが、術後4日目の夜、嘔吐と意識障害が起こる。
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