人はなぜ服を着るのだろうか。「身体を保護するため」「身分や職業を表示するため」「自己を表現するため」「他者を誘惑するため」など、さまざまな理由を挙げることができるが、機能や実用性だけにその理由を求めていても答えは得られないだろう。
では、最初に服を着たのはいつだっただろうか? 私たちは生まれたときから布でくるまれ、幼少期には周囲の大人に着替えを手伝ってもらっていた。服はあまりにも身近であるため忘れられがちだが、誰も自分ひとりで服を着られるようになったわけではない。自らの意志で服を着ることを選んだのではなく、誰かが私たちに服を着せたのである。
『皮膚―自我』の著者であるディディエ・アンジューは、人間が服を着る以前である胎児の状態に注目した。胎内はあらゆるものが渾然一体とした世界であり、自他の区別がない。不安のない理想の世界にいた胎児は、誕生によってこの世に投げ出され、切断の傷を負う。そのため、人は完璧に包みこまれていた状態を取り戻そうとする。
E・ルモワーヌ=ルッチオーニは『衣服の精神分析』の中で、「胎盤が取り除かれてしまったために、人間は服を身につけて、その上の表面を作ろうとする」と述べた。そのためにどのような衣服がふさわしいのかといえば、それは胎児が母親に包まれていたように、人間の身体をぴったり覆い、皮膚をなめらかになぞる服である。それを可能にする「ひと連なりの生地に切り込んでいく鋏」を、ルモワーヌ=ルッチオーニは根源的なものと見なした。鋏は、「衣服を作るのにふさわしい形をそこから引き出すため」にあるからだ。
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