小川三四郎は熊本の高等学校を卒業し、東京帝国大学へ入るため長崎から汽車に乗っていた。京都で相乗りになった女は、いつの間にかとなりの席のじいさんと話し込んでいる。聞こえてきたところによると、夫が満洲へ働きに出たまま仕送りが途絶えたため、実家へ帰る途中のようだ。
汽車が終着の名古屋に着く前、女は三四郎に宿まで案内してほしいとしきりに頼んだ。到着は九時を回るだろう。女の頼みももっともだと思ったが、知らない女の案内を快く引き受ける気にもならなかった。三四郎はいい加減な生返事をしていたが、下車すると女は後ろからついてきた。
「御宿」という看板の掛かった宿に入ると、二人は思いがけず同じ部屋に通されてしまう。三四郎は断る勇気が出せず、そのまま風呂へ向かった。すると、女は「流しましょうか」と申し出、三四郎が断るといっしょに湯を使おうと服を脱ぎ始めた。三四郎は慌てて湯船から上がり、一枚しかない蒲団を女に譲ると、自分は西洋手拭を敷いて寝ることにした。
翌朝、改札場での別れ際、女は「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言ってにやりと笑った。三四郎は二十三年の弱点が一度に露見したような心持ちであった。
東京に着くと、三四郎は驚いた。どこまで行っても東京が終わらない。街中では、材木や石が積まれ、新しい家が建ち、古い蔵が取り壊されている。すべてのものが破壊されつつあるようで、同時に建設されつつあるようにも見えた。
母からの手紙に、勝田の政さんの従兄弟に当たる人が東京理科大学に出ているので万事よろしく頼むがよいとあったので、三四郎は野々宮宗八を訪ねることにした。野々宮は「穴倉」にこもって、半年余りも光線の圧力の試験をしていた。野々宮の作った望遠鏡のしかけに、三四郎は大いに驚いたが、同時にこの研究が何の役に立つのかと疑問に思った。
穴倉を出た三四郎は池のそばに腰かけた。たゆまず研究に専念している野々宮は偉い。自分も生きた世界と関係のない生涯を送ってみようかしらと思案していると、左手の丘の上に女が二人立っていた。白い服を着たほうは看護婦だろう。もうひとりはまぼしいとみえ、団扇をかざしている。団扇をもったほうは、白い小さな花を持って、それをかぎながらこちらへ近づいてくる。三四郎はその姿にみとれていた。
二人の女が三四郎の前を通り過ぎるとき、若いほうが今までかいでいた白い花を三四郎の前へ落としていった。三四郎はぼんやりしていたが、やがて小さな声で「矛盾だ」と言った。何が矛盾しているのか、このいなか出の青年にはわからなかった。
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