もし仮に、親が育児のプロであるならば、大きな不都合などは起きないだろう。
人は育児という面で他の動物とは違う。多くの哺乳類はある程度育児をまっとうできる共通した能力を持つ。しかし人間は、あらかじめ育児に必要な情報を与えられていないし、学習しなければ身につくこともない。そしてなにより、親になるのにかなり長い時間を要する。そのため、「親としての準備は不十分になりがち」なのだ。
かつて、そうした経験不足をフォローしていたのが、祖父母やおじやおば、地域の人々などであった。現在の日本社会には、そうしたリソースを利用するのが困難な人が多くいる。知識も経験も不完全なまま、誰からも支えられずに子どもを育てていくしかない、という親が続出しているのだ。何もわからないまま、必死に子どもを育て、自分の時間を作れず、理想の親になれないことに苦悩する。子どものころに感じた親への切実な願いが、ふとした瞬間に頭をもたげ、記憶の中でうずくまって泣いている幼い自分を発見してしまう。
親子関係に恵まれた幸運な人と、育児に苦しんでいる人は、一体何が違うのか。その苦しみは果たして解決できるのだろうか。
親子の情に対して科学のメスが入ることに、人々は長い間否定的だった。現在、技術の進歩やネット環境の浸透によって、家族関係や人間同士のつながりは変化の波にさらされている。そんな今だからこそ、「科学によって人間関係を冷静に捉える試みを振り返る必要がある」のではないか。
人は生後6カ月から1歳半までの間に、対人関係の基盤を親子関係から学ぶ。しかし、この型は大人になってからでも変えることができる。心に抱える痛みを、「価値的な生き方をつかんでいく源泉へと転換していくきっかけ」としていくために、本書は書かれた。
「毒親」という言葉が注目され、今なお高い関心を向けられている。心理的なネグレクト、精神的な虐待、過干渉などによって子どもの成長に「毒」のような影響を与える。そうした振る舞いをする親が、こう呼ばれている。
親と子の関係はあまりにも深すぎて、当人からすれば解決するのがとても難しいことのように思えてくるだろう。これが赤の他人であればその人と距離をとればいいが、親ともなればそうはいかない。物理的に親と距離をとれたとしても、自分の記憶の中に親が生き続けてしまう。何かをしようにも親の幻影がちらつき、きっかけがあれば即座に思い出してしまう。そこにわだかまりがあれば、見えない鎖となってその人を縛りつける。毒親とは、「自分に悪影響を与え続けている親その人自身」というより、「自分の中にいるネガティブな親の存在」と表現したほうが適切なのかもしれない。
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