人はみな、自分の能力を決めつけて生きている。それは、「自分のものの見方で行動が決まっている」ということだ。たとえば、毒ヘビが実際に近づいているときも、それが毒ヘビだと単に思い込んでいるだけのときも、人は同じ行動をとる。これは私たちが持つ固有の「ライフスタイル」に左右される。
ライフスタイルはさまざまな形で現れ、全体を支配する。その人になにか問題があるとすれば、それは大本の行動原理、あるいはライフスタイルに問題があるのであって、部分的なところに原因があるのではない。
ライフスタイルは、自分の体験を言語化できない子ども時代に育まれる。子どもはささいな体験や、感情に残っても言葉にはできないような経験から、行動の定型を作りはじめる。こうして形成された思考のパターンや傾向は大人になってからも残るが、コモンセンス(共通の感覚)によって修正も可能だ。これは、重度の不安感や劣等感からの解放をもたらす。それには、他者とともに生きる感覚である「共同体感覚」によって、コモンセンスを育てなくてはならない。
子ども時代に培われた行動原理が現実の世界と対立したとき、精神的にも肉体的にもショックを与えてしまうこともある。
人生で起きる問題は3つに分けられる。他者との生活、仕事、愛だ。私たちはこれらの問題に遭遇しつづけ、逃げることができない。なぜなら、これは人間が他者と生き、生活を成り立たせ、子孫を残していくという目的のために生じるものだからだ。3つの課題は互いに深く結びつき、十分な共同体感覚がなければ正しく解決できない。したがって、これらと向き合う態度には個人のライフスタイルが反映される。
共同体感覚の形成は、生まれたその日から始まる。母性愛を進化的に発達させてきた親は「ともに生きる最初の相手であり、共同体感覚を発展させる入り口にいる存在」だ。子どもは親との関係から人生になじんでいき、他者との正しいコンタクトを見つけていく。
この段階で親が子どもを甘やかし、なんでも先回りして動いてしまうと、子どもの成長の芽を摘んでしまう。そうして育てられた子どもは、自分のために他者が何もかもしてくれると考え、自分はつねに世界の中心であり、その世界観を脅かす人や状況を敵だと思うようになる。他者に対して共同体感覚を向けようとはしない。こうしたライフスタイルが形成されると、誰かが手伝ってくれればすぐにどんなことでも達成できると考えるようになり、大人になってから人生の問題を解決できなくなってしまう。
一方、他者と生きるように育てられた人にはすぐに友人ができ、人類のあらゆる課題に関心を持ち、自分の態度を調整して他者に役立てるようになる。
私たちが生活するこの社会では、人間は仕事を分け合う必要がある。共同体に生きる人は、「他者の生活や仕事を搾取しても人類の幸福のためにはならないこと」を知っている。靴を作る人は他者の役に立っているのだから、社会で認められて生活する権利がある。仕事の対価としてお金を得るのは、市場でその人が役に立つと認められているからだ。
働くことで、人は自分が社会にとって価値があると感じられる。これは人間が劣等感を和らげるための唯一の方法だ。役に立つ仕事をする者は、共同体で生き、その発展を支える。そして、共同体感覚があるからこそ、不況などで失業した人も暮らせるだけの生計を求める権利を得られる。この先、世の中の生産方法や財産の分配方法が変わったとしても、共同体感覚の力をいっそう対応させていかなければならない。
2人で取り組む愛の課題は、全体における個人の幸福に近い課題といえる。1人では解けないし、2人が1人にならなければいけない。不幸な恋愛や結婚などは、献身にひるんでしまい、愛を軽く扱うという、共同体感覚の不足の結果だ。
人間の器官の形や外見には、その人物の生き方が表れる。その基本は周囲の環境にどのように適応してきたかで決まる。
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