甘えている人は、周囲の人に対し、自分の望む反応をしてほしい、ほめてほしいなどの要求が多い。望む要求が得られなかった場合には、それをはっきりと言葉で伝えずに不機嫌になる。つまり、不機嫌な人は甘やかされたいのだ。満たされない甘えによって、感情を動かされているのである。
子どものころに親から十分に愛されてきた人は、甘えの欲求が満たされ、周囲と自分を信頼し、独り立ちできる。一方で、親自身の甘えの欲求を満たす手段として、子どもを利用することがある。子どもは一人で生きられない。親から拒否されないために、親の要求にこたえ、親が望むように自分を変えていく。子ども自身の甘えは、親が求める要求の邪魔だ。やがて、自分の中にある甘えを悪いものと考えるようになり、自分を罪悪視するようになってしまう。
そうして育った人は、心の底で「やさしさ」を求めているにもかかわらず、考えるのは自分を守ることばかりだ。やさしい人と冷たい人を見分けられず、自分の心の病を悪化させるような人とばかりつきあってしまう。
では、どんな人が「冷たい人」なのだろうか。
もし、相手から「冷たい」と言われれば、自信を失ってしまうはずだ。その「冷たい」と感じる基準は人によって異なるし、相手の甘えの欲求が原因となることもある。
たとえば、甘えの欲求を強く残した人が恋愛をした場合、親しくなるほど自分のわがままを出すようになる。そのわがままを受け入れない相手に対し、「冷たい」と言う。この相手が病人やお年寄りに心配りをしていたとしても関係ない。自分の欲望を満足させないことが「冷たい」のである。しかも、「自分の欲望の言いなりにならないことが原因」という自覚がない。本当にその相手のことを「生意気だ」と思っているのだ。
人間にとって、自分が他人から好かれる存在である、自分には愛される価値があると感じることは、人生の幸不幸を左右してしまうほどの影響力を持つ。その根本にあるのが、小さい頃に「自分は愛される存在である」と感じられたかどうかだ。
親から「あなたは愛されている」「ここにいる権利がある」というメッセージを受け取ってきた人と、「あなたは望まれないのに生まれてきたのだから、ここにいられるためには、皆に気に入られる自分に変わらなければいけない」というメッセージを受け取ってきた人には、大きな差が生まれてしまう。
以下の言葉は、著者の研究してきた交流分析によく出てくる文言である。
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