萩本欽一さんいわく「運と不運は平等」だという。
大学2年生から欽ちゃん劇団のメンバーとなった著者は、稽古場で「芸能界は運だよ」という話を聞いた。生まれながらの運があり、家がお金持ちだったりすると芸能界に向いていないのだと欽ちゃんは語る。「成功したいと思っている人は成功しない。成功したいと思っていないところに、突然、運は舞い降りる」というのが欽ちゃん哲学だ。
運には決められた総量があり、失敗は未来に生かせる。不幸を抱えていても、運を欲しがらない人のところに幸運がやってくるという。
あたたかい家庭で育ち、劇団のオーディションも自信満々で通過した著者を見た欽ちゃんは、こう言い放った。「オマエみたいなやつはダメなのね!」
欽ちゃんに一番気に入られていると思っていた自分の心を見透かされたようだった。そこから気持ちを入れ替え、稽古後の掃除もていねいに行なうようにしたら、「いい顔になったね」と言ってもらえるようになった。稽古に励んだ結果、旗揚げ公演の5人にも選ばれた。
しかし、大学を辞めてまで芸能界に挑戦できるだけの自信はなく、後ろめたさのなかで劇団を去ることになった。欽ちゃん劇団の在籍経験をアピールポイントに見事、ニッポン放送から内定をもらう。
仕事の関係で再会したとき、欽ちゃんはこう言うのだった。「うん、いいね。やっぱりオマエの顔はラジオ向き!」
それからのアナウンサー生活は失敗の連続だったが、「運の貯金をしているんだ」と考えることで乗り越えられた。担当番組が好評になったりするとつい気が大きくなってしまうが、欽ちゃんの言葉を思い返すと、謙虚に頑張る気持ちに戻れる。
「運はいつも誰かが運んでくる」という言葉のとおり、多くの人との縁にあやかりながら生きているのだ。
和田アキ子さんの特番で中継担当に選ばれたが、なぜか当日の朝に目覚ましが鳴らず、出番の時間に完全に遅刻してしまう。タクシーを使い大急ぎで向かうなか、番組は自身が不在のまま進行していく。
スタジオに到着し、頭に床をつける勢いで謝罪の言葉を伝えると、アッコさんは微笑みながらこう告げた。「謝らんでええ。二度と会うことないんやから」
この最悪の出会いだったが、そこからいかに関係をリカバリーできたのか。謝罪には謝る人、謝られる人以外にも、混乱する状況を整理する人、橋を架けてくれる人がいたことに気づいた。
アッコさんはライブを控えていて、正直なところ余計なことに振り回されたくない。それでも謝らせるために、ディレクターの金井尚史さんが尽力してくれた。アッコさんの当時のマネジャーは、アッコさんを説得して謝罪の日程を確保してくれた。
金井さんと一緒にホリプロに行くと、アッコさんは優しい口調で言った。「もうええのに。分かった、分かったよ。これからお互い違う世界かもしれんが、頑張っていきましょう」
それからも、金井さんにはアッコさんの番組の中継コーナーを担当させてもらう。マネジャーには、和田アキ子コンサートを案内してもらい、「歯の浮くようなコメント」を伝えてはアッコさんたちにイジられる、という関係性ができあがっていった。あの人の手、この人の手を借りながらのことだった。
圧倒的な歌唱力と迫力をもち、ユーモアと威圧感を絶妙に共存させる和田アキ子というキャラクターのなかにも、恐怖や迷いはあるはずだ。それでもステージに立ち、毎回、観客を圧倒する。その姿に胸打たれた著者は、自分なりのかたちでこの感動を素直に伝えるようにしているだけだという。
誰もがもつそうした心の存在に気づき、寄り添うことが大事なのではなかろうか。
「ニッポン放送のアナウンサー全員のサインを揃えたい」と名前も告げずに初対面で近寄ってきたのが、森永卓郎さんだった。微妙に失礼だと思いつつ、悪い人ではないと感じたが、「この人はヘンな人だ」と理解した。
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