2014年5月7日、ソフトバンクの決算説明会で、売上高は6兆7000億円、営業利益は1兆円を超えたと発表した。営業利益が1兆円を超えた会社は、日本経済史上においてNTT、トヨタ自動車、そしてソフトバンクの3社だけである。もちろんソフトバンクが設立後最短、最速での達成だ。
2005年9月11日の郵政解散総選挙で、民主党に所属していた著者は衆議院議員の議席を失った。その4日後に孫社長を訪ね、政界から転じビジネスのトップランナーをめざしたい旨を伝え、ソフトバンク社長室長への転進が決まった。
著者が入社した頃のソフトバンクは、営業利益が前年の254億円の赤字から623億円の黒字に転じたところだった。社長室長として著者は、ソフトバンクを「やんちゃなベンチャー企業」から「ちょっと大人のソフトバンク」に進化させるとともに、営業利益「1兆円クラブ」企業に至る道を支えてきた。
2006年3月17日、東京・汐留のコンラッドホテルにて、ボーダフォン日本法人をソフトバンクが買収、という記者会見を行われた。2010年代を見据え、モバイルインターネット時代の覇者となるために、ソフトバンクには携帯電話事業が必要だった。
2兆円近い資金が必要になるボーダフォン日本法人の買収は、思い切った意思決定である。ソフトバンクの社外役員に、ファーストリテイリングの柳井会長がいる。孫社長は飛躍を志向する一方で、柳井氏は「冷静で合理的な判断」を重視し、役員会でも牽制役として、孫社長と激しく討議することもあるという。そんな柳井氏が、ボーダフォン日本法人買収に関しては、「ボーダフォンを買えなかったときのリスクを考えるべきだ。これぐらいの値段で買っておいたほうがいい」と孫社長の尻をたたいたのだった。ここが勝負どころと見たのであろう。
情報通信産業界は正に『三国志』と言える状況にあった。強大な力を持つ順に、魏はNTT、呉はKDDI、豊富な人材と活力がある蜀はソフトバンクだろう。蜀の軍師となる諸葛孔明が蜀の皇帝になる劉備に提言した『天下三分の計』を参考にすれば、組むべき相手は呉の国、つまりはKDDIであり、共同でNTTに対抗していくという構想である。参考に2005年時点のシェアは、NTTドコモ53%、KDDI26%、ボーダフォン16%という状況。NTTとの差は歴然としていた。
買収のスキームはLBO、つまり買収先の資産を担保に負債を調達する形式だった。財務上のリスクが急激に高まったと見なされ、買収発表後にソフトバンクの株価は6割も暴落することになる。過去にもソフトバンクはヤフーへの投資を実行した際、ブロードバンド事業に投資した際にそれぞれ株が暴落し、その後実績を出すことで株式市場の評価を変えていった。孫社長は4年周期のオリンピックのようなもの、と会議で明るく話していたという。
ボーダフォン日本法人買収後に生き残るための条件はシンプルで、「今いるお客様を維持する」ことに尽きた。2006年10月24日に導入が迫っていた「番号ポータビリティ(MNP)制度」、つまり携帯電話の加入者が別の事業者に切り替える際に電話番号を引き継げるという制度の導入後、利用者がどのような動きをするかが勝負を分ける。事前の予想では3位のボーダフォンの顧客が奪われると言われ、3分の1のお客様が他の事業者に乗り換えてしまうという調査結果もあった。
孫社長はこうした厳しい予想の中で、ボーダフォン社長に就任した。
3,400冊以上の要約が楽しめる