著者の元榮氏は、自身の仕事の考え方について高校・大学時代の「アルバイト」から得られたものが大きいという。父親の転勤で中学の頃からドイツに移り住んだが、そこでの生活を楽しめず、両親を説得して日本での一人暮らしを始めた。服や靴を買うことを楽しみにしていたため、高校で禁止されていたアルバイトをした。
初めは新聞配達で、時給1500円という魅力があったが、実働毎日1時間という短さのため変更した。コンビニエンスストアでのアルバイトを経て、友人に紹介されたレストランでのアルバイトを始めた。大学生になり、色々な世界をのぞくことが後に役に立つとの思いから、六本木のディスコでも働いた。中学卒の暴走族上がりの先輩スタッフや、家出少女の客が来るなど、多様な人に巡り合った。ディスコではまずバーテンとしてカクテルの作り方を覚え、ホール担当を経て、客引きも行った。客引きでは競合店とのプレゼン競争となる。競合との差を訴え、心に残るような言葉を選び、笑顔で接する。大学では学べない、実学がそこにあった。弁護士になってからも、国選の当番刑事弁護を担当し、勤務先で行うビジネス法務とは離れ、広い世界に触れることを続けていた。
弁護士ドットコムは8年間実質的に赤字を継続するが、それでもポジティブでいられたのは、大学時代にサッカーで大きな挫折を味わったからだろう。マンガ『キャプテン翼』の影響から小学校から始めたサッカーは、一人暮らしをしていた高校時代も頑張っていた。左サイドバックとして、守備も攻撃もこなし、レギュラーとなった。高校三年の春の大会は県でベスト4まで勝ち進み、全国大会にでるため友人の誘いを受けて、冬の大会まで現役を続ける。多くの人は受験勉強のため、引退するにもかかわらずだ。そして、高校三年生の10月に県ベスト16で敗退。3カ月の受験勉強を経て、慶應義塾大学法学部法律科に進み、体育会のサッカー部に入った。
大学でも通用すると思っていたところ、大きな壁が立ちはだかる。配属先は「三軍」。全国大会で優勝を争うような高校から入ってきた選手と比べれば、パスの精度も足技も戦術面の習得もかなわなかった。そんな一軍選手は練習熱心でもあり、差は開く一方だった。そして、六本木のディスコでアルバイトを始め、やがてサッカー部を辞めた。大好きなサッカーで大きな挫折を味わった。
大学入試試験は高校サッカー部引退後の3カ月で乗り越えた。だから司法試験も6カ月で乗り切れるのではと本気で考え、試験準備を開始した。択一試験は合格するも、それに続く論文試験では不合格。判明した順位から、あと数十人抜いたら合格していたかもしれなかったのだ。6カ月しか勉強していないから、という言い訳をしていたから不合格になったのかもしれない。次は二度と自分に負けないと心に誓った。
人一倍泥臭く勉強し、予備校では最前列に座り、一日に使うお金は200円というストイックな生活を続けた。模擬試験では全国2000名のトップを取り、血尿が出るトラブルもあったが、翌年の司法試験で合格することができた。司法試験に合格すると人生が全く変わってしまった。誘われる食事は豪華になり、訪問したオフィスはふかふかのカーペットに立派な受付がある。
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