著者のリーダーシップは、高校から本格的に始めた野球でキャプテンになった経験が原点になっている。目立った活躍もしていない著者に、どうしてキャプテンが命じられたのかというと、下級生が、「岩田先輩をキャプテンにしてほしい」と強く推薦したというのだ。著者は、上級生だからと特に意識することなく、下級生たちと一緒によくグラウンド整備をしたりしていた。また、試合にも出られないのに一所懸命に練習に取り組んでいた著者の姿は、上級生たちもしっかり見てくれていたという。まわりの人から押し上げられて、著者はリーダーになったのだった。
幼い頃からリーダーシップを発揮する子どもたちもいるが、著者はそういう友達に憧れる普通の子供だった。後に社会に出てからも、自らリーダーシップを発揮しよう、などと意識したことはない。リーダーシップとは生まれつきのものなどでは決してない、ということ。誰でもリーダーになれる素質を持っているのだ。
リーダーシップといえば、多くの人がイメージするのが、オレについてこい、というカリスマ的な力で、グイグイ人を引っ張っていく、というものではないだろうか。
ジェームズ・C・コリンズの名著『ビジョナリーカンパニー2飛躍の法則』(日経BP社)では、多くの人がイメージするカリスマ的な力によるリーダーシップは「第4水準」という書き方がされている。その上のリーダーシップとして「第5水準」というリーダーシップがあるというのだ。カリスマ性の有無はまったく関係がなく、むしろ、謙虚さを持っている。何かがうまくいったとしたら、「それは運が良かったからだ」「部下が頑張ってくれたからだ」と受け止め、逆に、うまくいかなかったときには、「すべて自分の責任だ」と捉える。
著者が40代でこの本を読んだとき、とても勇気づけられたという。もし自分が企業の中でリーダーシップを発揮しなければいけなくなるとすれば、この「第5水準」を目指せばいいのである。以前より著者は中国古典なども読んでおり、東洋哲学の理想とするリーダーというのは、深沈厚重型の静かな闘志を持った人、優れた人格を持った人だった。洋の東西を問わず理想とすべきリーダー像が同じことに、驚いたのだった。
部下を100人持てば、その100人の幸せは、自分が握ることになる。動かせるお金もびっくりする金額になっていく。こうしたことについての畏れがなければ、危ない。責任を忘れて権力の誘惑に流されていくと、待ち構えているのは、不祥事や不正、また部下からの信頼を失うなど、悲劇的な結末だけだ。逆にいえば、そうした誘惑に打ち勝つだけの人格や人間性を備えた人だけが、本来は地位を手に入れるべきなのだ。
リーダーの姿勢は、組織にどんどん伝染していく。リーダーがクヨクヨしていたら、みんながクヨクヨしてしまう。だから、大事にしなければならないのは、常に「長期的には何とかなる」と楽観的であることなのだ。
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