弁論術とは、相手を説得する技術のことである。医術なら健康、算術なら数といったように、たいていの技術は特定の領域を専門とするが、弁論術はあらゆる種類の問題を対象とし、特定の専門知識を必要としない。また、他の技術は、どれも唯一の結論を導くためのものだが、弁論術は、相反する主張のどちら側に立っても、その主張の正しさを論じるものである。
これまでの弁論術の技術書は、論証の部分を軽視していた。むしろ、裁判官を怒らせたり、同情を誘って判断を歪めさせたりといった、本筋とは離れた部分にのみ重きが置かれていたといえる。
しかし、本来の弁論術の目的は、説得を成し遂げることそのものではない。それぞれの問題にふさわしい説得の方法を見つけ出すことこそ、弁論術の真の目的なのである。
弁論術は、言論によって相手を説得する。そこには、(1)話し手の人柄(エートス)、(2)聴き手の心理状態(パトス)、(3)話される内容の論理性(ロゴス)の3つの要因が関わっている。
そのうち、最も強力と言っていいほどの説得力を持っているのが、(1)話し手の人柄だ。なぜなら、人柄の優れた人物に対しては、素早く、そして多くの信頼を置くものだからである。
対して、(2)聴き手の心理状態は、これまでの弁論術が盲信的に重視していたものであり、本筋ではない。しかし、人がそのときの状態によって下す判定を変えるというのは事実であるため、聴き手の感情について学ぶことは依然として有用である。
最後に、(3)話される内容の論理性は、説得力のある論を打ちたて、それが真であることを証明することである。これについては後述する。
弁論術の使い手は、人柄や徳、人間の感情について深く考察でき、かつ論理的に推論できる人物でなくてはならない。
聴き手の立場を基準に考えると、弁論は3種類に分けられる。
まず、聴き手は、公的な結論を出す判定者か、それとも単なる見物人かのどちらかに分類できる。また、判定者に関しては、未来に起こりうることに対して判定をするのか、過去のできごとについて判定をするのかによって、さらに区別が可能だ。
未来のできごとを論ずる場としては、議会が挙げられる。議会で行われるのは、ある行動の勧奨か制止かのいずれかだ。その判定を下す基準となるのは、聴き手にとっての「利/害」である。
一方、過去のできごとを判定する代表的な場が法廷だ。法廷では、罪の告訴または弁明が行われ、聴き手はそれに対し「正/不正」という基準で判断する。
聴き手がただの見物人の場合、彼らが注目するのは話し手の能力である。話し手の演説に注目する彼らは、「美/醜(その行為の優劣)」を基準に、判断を下す。
議会弁論では、「話し手の人柄」が重要になる。話し手が信頼される人間になるためには、思慮・徳・好意(友愛)の3つを持たなければならない。
ここでの思慮とは、知性における徳のことをさす。思慮があるからこそ、いかにして幸福になるか、そのためによいもの/悪いものは何かを判断できる。
徳は、人に利益をもたらす能力だといえる。
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