2015年の年明け以降、大塚家具で内紛が起きていることが、徐々に明らかになっていた。実の父娘である会長と社長のあいだで、経営権を巡る争いが起きていたのだ。
そんな最中、2月25日に勝久氏が突然会見を開いた。そして勝久氏は筆頭株主という立場を利用し、久美子氏を排除するという提案を出した。久美子氏を取締役から外す理由としては当初、「企業価値の毀損」「コンプライアンス違反」といった文言を掲げたが、記者の質問が始まると、勝久氏の口からは「情」に訴える発言が増えた。「経営者としては失敗はなかったが、親としては間違ってしまった。残念だ」「何人かの悪い子どもを作ったと、そう思わざるを得ません。今は」。
この「悪い子どもを作った」というフレーズは、テレビのワイドショーや週刊誌でくりかえし取りあげられた。そこで吐露されていたのは、会長と社長という「公」の関係ではなく、父と娘という「私」の関係であった。
勝久氏の会見の翌日、久美子氏も記者会見を開いた。とはいっても、この会見はもともと中期経営計画の説明会として予定されていたものだった。まさか前日に勝久氏が反旗を翻す会見を開くとは思っていなかったため、大慌てで段取りをつくり直さなければならなくなった。
記者会見当日、久美子氏は前日の勝久氏の感情的な発言に、あくまで冷静に反論していった。そして手短に反論を終えると、すぐさま本題である中期経営計画の説明へと移っていった。久美子氏は、従来の大塚家具のビジネスモデルを「販売スタイルやブランディングにおいて課題を抱えていた」とし、大塚家具の特徴だった「会員制」という販売スタイルが今の時代に合わないとバッサリ切り捨てた。それは、父親が築き上げた成功モデルの否定を意味していた。
また、久美子氏は大塚家具の「ブランディング」についても問題があると指摘した。大塚家具は「価格が高そう」と感じている消費者が多く、本来ターゲットとしている層の客にも敬遠されていると述べた。そしてそれは新聞の折込チラシを大量にばら撒く勝久氏流の広告宣伝活動が限界にきているためだと結論した。プロのコンサルタントとしてキャリアを築いてきた久美子氏らしい論理的な分析だった。
もともと件(くだん)の会見の前から、勝久氏と久美子氏の溝は深かった。2009年以降社長を務めてきた久美子氏が、取締役会で社長を解任されたのは14年7月23日のことだ。当時、取締役は久美子氏を含めて8人いたが、そのうち5人が久美子氏の社長解任に賛成した。そのなかには父の勝久氏や、実弟の勝之氏、義弟にあたる佐野氏も含まれていた。久美子氏は孤立無援の状態で社長の座を追われることになった。
だが、そのわずか半年後に大逆転劇が起こる。翌年1月28日に開かれた定例の取締役会で、社長を解任されていた久美子取締役が社長に復帰し、父親である勝久会長兼社長が代表権のある会長に専念するという発表をしたのだ。社長解任からわずか半年後に元サヤに収まる、まさに異例の事態だった。
久美子氏は半年の間、取締役会の情勢を逆転させることに心血を注いでいた。そのターゲットは、ジャスダック上場会社のホウライで会長を務め、社外取締役として参画していた中尾秀光氏だった。本来は独立した立場から賛否を示すべき社外取締役である中尾氏が社長解任に賛成したことに、久美子氏は怒っていた。結局、中尾氏は、久美子氏の「正論」に歯向かうことができず、1月の取締役会を前に取締役の辞表を提出した。
この中尾氏の辞任により、取締役会の勢力図は変化した。人数が7人になったため、4人の賛成がとれれば取締役会での議決が可能となったのだ。最終的に、久美子氏は自身の票を含め4つの賛成票を獲得することに成功し、社長の座に返り咲いた。
4対3で久美子氏が社長に復帰したことは重要な意味を持っていた。
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