ここ30年くらいの間に、多くの商品やサービスで「ゆるやかな右肩下がりのグラフ」を描いて縮小しはじめている市場が少なくない。このような市場を回復基調にのせるには、どのように考えるべきなのか。
例えば「デジカメ市場が縮小しているのは、スマホのカメラが高性能になったから」や「日本酒市場が減っているのは酎ハイやワインがのびているから」という説は、代替品で説明する発想である。この発想は市場を「モノ=商品カテゴリー」で規定し、その中でマーケティングを考える「モノ発想」といえる。
イギリスのあるスーパーが顧客データを分析したところ、ビールと紙オムツを一緒に買う顧客が多い、という興味深い結果が出た。
この買い合わせの理由はつぎのようなものだ。赤ちゃんができるとお父さんは子育てを手伝う。すると仕事の後にパブに寄り道せず早く家に帰り、自宅でビールを飲むようになる。なので帰り道にスーパーでビールと紙オムツを一緒に購入するのである。
一見、無関係なモノが一人の生活行動の中では有機的につながっているのである。「モノ発想」で考えている限りはこうした「気づき」を得るのは難しいはずだ。
私たちが「〇〇市場」と言うときには「モノ」で考える癖が染みついている。また売り場も卸問屋も監督官庁も統計データも全てモノ単位で構成されている。
ところが実際にモノを買うときには生活者はそこまで「モノ発想」なわけではない。例えば、ヨーグルトはサラダの代替品で、飲料の代替品、お菓子の代替品の時もある。ヨーグルト、シリアル、卵、スープはモノで考えるとそれぞれ異なるカテゴリーだが、実際にはどれも朝食に登場する食品である。これが「行動で市場を括り直す」新しいアプローチである。
モノで規定される市場が右肩上がりで伸びている時には、余計なことを考える必要はなかった。単純に市場の中の「シェア」を伸ばせばよかったからだ。自社に有利な市場を標的としてその中で戦えば勝率は高かった。
しかし市場が縮小すると細分化した市場ではビジネスが成立しなくなってしまう。いまのところ、この問題に対する「教科書的な処方箋」は存在しないのである。
現状では「モノ発想」で考え続けること自体が大きなリスクになりつつある。なぜなら、もはやモノのなかに「解決策」がないからである。
例えばデジカメの品質やデザインを向上させ、価格を安くすることは「デジカメ市場」の中の競争では有効である。しかし自撮り写真を撮ってすぐにSNSでシェアする、今どきの「写真行動」の中では有効な解決策とはならない。
日本酒の場合で考えると、ワインが伸びているのは食生活の洋風化にともなう食中酒として日本酒よりワインが選ばれているのだ。食中酒とはモノの名称ではなく、「食事中に食事を楽しむために飲むお酒」という行動をとらえた名称である。この「食中酒行動」に対しては、例えばメニューに「脂の乗ったカルパッチョに合う吟醸酒」などの提案を行うことで、消費者に新しい選択肢が生まれるのである。
新商品の開発にあたって、海外のトレンドまで研究し、テストも重ねて、ネーミングもデザインも好評だった。しかし、いざ発売すると最初はまずまずだったが次第に失速し、残念な結果に終わる。このような「期待の新製品」は少なくない。なぜ思うように人は動かなかったのか。
じつは「そもそも人は動かない」ものなのだ。つまり、今の行動を変えたくないのである。これは認知心理学でも裏付けられている人間の性質である。なぜなら今の行動を変えると、今の行動をつづけるより、大きなエネルギーコストを必要とするからである。
コストには「お金」だけでなく、「手間」や「時間」も含まれる。また例えば「他人からケチだと思われる」などの印象も、コストに影響を与える。つまりリスクはすべて、コスト要因となる。従ってコストを節約するためにはリスクを低減させなくてはならないのだ。
アメリカに「1年間返品OK」を売りにして成長した靴の通販会社がある。初めて行動するときのリスク感は非常に大きいため、返品自由にすることでリスク感を緩和して、行動を喚起させる手法である。
このように意識と行動のギャップを前提に「思ったほど人は動かない」と認識し、意識レベルの変化よりも行動レベルの変化をダイレクトに作り出すのが「行動デザイン」の基本的な考え方である。
行動デザインの基本思想は「実際に行動しやすい、したくなる環境」を整備して行動を誘発することである。行動を基準に考える利点は、行動は意識と異なり客観的に目に見えることだ。
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