著者は東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員であり、映画を保存する「フィルム・アーキビスト」として働いている。
フィルム・アーキビストに適性があるのは、「映画の中身を語らなくても、映画のことを延々と話し続けられる人」だ。そのためには、「世界のすべての映画」という概念を頭の中に思い描ける感性と、一生見ることのない映画についても頭の隅に置ける能力が求められる。
フィルム・アーカイブで働くアーキビストたちにとって、「すべての映画は平等である」。映画批評では「良い映画」と「悪い映画」を区別するが、フィルム・アーカイブでは、すべての映画を同じ条件で平等に扱う。アーキビストはひとつひとつの映画が面白いというより、「映画」と名付けられた体系全体に愛着を感じているのだ。
1895年12月、パリの「グラン・カフェ」でリュミエール兄弟が映画の一般上映を初めて実施した。しかし、実際に映画の保存所がアメリカやヨーロッパで生まれたのは1920年代から1930年代にかけてであり、初期の映画の多くは残念ながら失われてしまっている。
フィルム・アーカイブのアイデア自体はかなり早くに生まれていたようだ。1898年3月、ポーランド生まれの写真家ボレスワフ・マトゥシェフスキが『歴史の新しい源』という冊子を出版し、映画を歴史文書としてシステマティックに管理する保存所としてのフィルム・アーカイブを提唱している。加えて、マトゥシェフスキは著書『動く写真』のなかで、医療、教育、芸術、家庭などさまざまな分野で映画を活用できる可能性、そして映画を蓄積する必要性を訴えている。
1909年になると、ユダヤ系フランス人の
3,400冊以上の要約が楽しめる