著者が生まれ育ったオハイオ州ミドルタウンは、かつてアパラチアから中西部産業地帯への移住の波に乗って、大勢のヒルビリーが流れ込んだ町である。昔はラスト・ベルトの経済発展を象徴する町であったが、にぎわったショッピングセンターはほとんど空き店舗となり、全盛期に富裕層が住んでいたぜいたくな家も、そのほとんどが朽ち果てている。ミドルタウンの市街地は、いまやアメリカの産業の過去の栄光を示す遺物になりはて、薬物依存者と売人の待ち合わせ場所になっている。
このような変化は、住み分け(居住地域の隔離)が進行する経済の新しい現実のあらわれといえる。貧困地域に住む白人労働者数は増加しており、1970年、貧困率10%以上の地域に住んでいた白人の子どもは全体の25%だったのに、それが2000年には白人の子どもの40%にまで上昇している。現在ではさらに高くなっているようだ。
連邦政府は住宅政策として、家を持つことを積極的に国民に推進してきた。しかしミドルタウンのようなところでは、持ち家はきわめて大きな社会的コストとなりうる。働き口がなくなると、家の資産価値が下がって価格が底割れし、引っ越したくても身動きできなくなってしまうからだ。その結果、多くの人がその地域に閉じこめられてしまう。
もちろん、閉じ込められるのはたいてい最貧層の人たちだ。引っ越しできるだけの経済的余裕のある人は去っていく。こうして地域が貧困化していくのである。
こうした現状に対して、歴代の市長たちが何も対策を打ち出さなかったわけではない。ミドルタウンの市街地再生計画がいつもむなしい努力に終わってしまうのは、ミドルタウンに十分な消費者がいないからだ。そしてそれは、消費者を雇用するだけの仕事がないからである。
こうした問題は、ミドルタウンにおけるAKスチール(アームコ・カワサキ・スチール)の役割が崩壊しつつあることのあらわれといえる。AKスチールは、1989年にアームコ・スチールと川崎製鉄が合併してできた会社だ。
アームコ・スチールは1940年代後半頃から、ケンタッキー州内のアパラチア地域の若者を雇用しただけでなく、同時に親類縁者を連れてくることを奨励した。この方針が、アパラチアの人々の大規模な移住を促すことにつながった。アームコの資金で町の公園や施設がつくられ、主要な地域組織の役員にはアームコの関係者が名を連ねた。加えて、アームコは学校への資金援助もしていた。ミドルタウンの住民が何千人も雇用され、学校教育を受けていない人でもかなりの給料をもらっていた。
しかし、いまではAKスチールでも十分な仕事を提供することはできていない。そして満足な雇用も生まれなくなっている。
ミドルタウンでは、公立高校に入学した生徒の20パーセントは中退する。大学を卒業する者はほとんどいない。
生徒たちは自分の将来に多くを望んでいない。(1)運がよく、裕福な家庭の出身でコネがあり、生まれた瞬間から成功が約束されているような人間か、(2)生まれつき賢く、
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