大陸にある都市は、城郭で囲まれている。しかし、日本の京都は、唐の長安を模して碁盤の目の街を築いてきたものの、城郭のない都市になっている。
日本古代の遺跡に目を向けると、吉野ヶ里遺跡には、幅1メートルの堀がある。堀の役割は、もともと住んでいた人と渡来人とを区切るものだったと考えられる。つまり、日本でも、最初は城郭のように土地を区切る必要性があったが、都が京都に移る8世紀末には、それが不要になったという見方ができる。現に、京都御所の周囲に張り巡らされた塀は決して高いわけではなく、簡単に乗り越えられるものである。
著者は、城郭を結界と位置づけ、「ここからは別の世界」と意識の中で区切りをつけるものだと指摘する。そして、日本の場合は、城郭をつくらなかった代わりに心の壁が存在するのだという。
京都人の心の壁は、住んでいる場所の話を聞いていると分かりやすい。京都の中心、いわゆる洛中に住んでいる人は「京都人」という意識で話をする。それ以外のエリアに住んでいる人、例えば山科区や伏見区に住んでいる人は「うちは京都ではありません」と言う。同じ京都市内の住民ですら、京都人か否かを意識している。
ただし、住んでいる場所に関する心の壁は、京都に限った話ではない。東京でも下町と山手の違いがある。人が大勢いる都会になると、かえって違いを意識するようになる。
日本人が「うちの学校」「うちの会社」などと言うのも、「内」と「外」を区別するものである。このように、京都人だけがよそ者を排除しているのではなく、内と外を区切る日本人特有の性質を色濃く残しているのが京都なのである。
京都人は、何かを断る時に「ほな、考えときまひょ」という常套句を使う。言葉どおり「考えてもらえる」と受け取ってしまうと、意味が違うことに後で気づくだろう。そのため、「京ことばは額面どおり受け取れない」「京都人の言い回しはいけず(意地悪)」と言う人もいる。
これに対し著者は、そもそも日本人は「ノー」を言わない文化を持っていると指摘する。例えば、会社で依頼を断りたい時に「考えさせてください」と言ったり、官僚が「善処します」と言ったりすることがある。これは、相手の意見や要求を認めたうえで、自分の意見を表現するものであり、「考えさせてもらったうえで、引き受けるのは難しい」という意味をこめている。京都は地域の共同体がまだ保たれている街のため、はっきりと分かる断り方ではしこりを残す。このため、「考えときまひょ」という表現で断るのである。
また京都には、何百年と続く老舗が残っている。花街や老舗には、お得意さんを優遇し、お得意さんの紹介でないと入店できないという「いちげんさんお断り」の文化がある。
観光都市は、特に何もしなくても人がどんどん訪れるため、何も手を打たないと商売が粗くなりやすい。お得意さんだけを相手にしている店は、味やサービスの質が落ちるとすぐにばれてしまう。お得意さんが満足するような味とサービスを提供し続けることは、時代に左右されず、店を長続きさせるための秘訣である。そこで京都人は、無理にお客を増やして儲けようとせず、「商売はぼちぼち」が確実な方法であると肝に銘じているのだ。
京都市は今や人口140万人以上の人が住む大都市である。都会になればなるほど地域のつながりは希薄になるといわれているが、京都は例外といってよい。
ドイツの社会学では、「共同体」を示す二つの言葉がある。一方は「ゲマインシャフト」といい、家族や村落など、人間が本来持っている性質に根差した社会集団を指す。もう一方は「ゲゼルシャフト」と呼ばれ、機能や目的で結びついた共同体のことである。
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