日本で初めてウィンドウズ95が発売され、インターネット時代の幕開けと言われた1995年。まさにこのときから偽ニュースとの闘いが始まろうとしていた。
それまで紙しか流通経路を持たなかった新聞社は、ネットでのビジネスモデルを確立するのに苦戦を強いられていた。記事を無料で掲載すると、人々はわざわざ有料の新聞を買わなくなってしまう。無料で掲載してテレビのように広告収入で稼ぐことも考えられたが、当時のネット普及率は統計がないほど低く、広告モデルでやっていくのはどうやら難しいと判断された。
また、インターネットが普及する前から有料モデルへの転換も試みられていたが、新聞社は情報機器の変遷に対応しきれず消耗していた。そこで登場したのが、膨大なコンテンツを整理し、紹介する場所提供者、「プラットフォーム」だ。
インターネット黎明期からネットの情報流通を担っていたのはヤフーだ。ヤフーはシリコンバレーで生まれたポータルサイトだが、日本でもモデム(インターネットに接続する機器)の無料配布などで一気に認知されるようになった。
そのヤフーが1996年7月からニュースを取り扱い始めた。ヤフーは新聞社や通信社から記事を安く仕入れて掲載することで、アクセスを稼いでいった。いろいろなソースから集まった記事を無料で一覧できるヤフーは、「ざっくりと世の中の動きを知りたい」というユーザーにはうってつけだった。こうして次第に、プラットフォームとしてのヤフー一強というネットニュースの流通ができあがっていく。
この構造は、ネット時代になかなか対応できていなかった新聞社や通信社からすれば渡りに船ともいえた。しかし、無料掲載を忌避していた新聞社にとって、記事を叩き売ることに抵抗はなかったのだろうか。
もちろん新聞社にも懸念はあった。しかし当時の新聞社は、記事を作ることができるのは自分たちだけだと過信していた。記事を作るには、訓練された記者や編集者以外にも、培われてきたノウハウや組織的な仕組みが必要で、ネット企業には一朝一夕には作れまいと高を括っていたのだ。この思い込みは、のちにライブドアの「ライブドアブログ」やヤフーの「ヤフー個人」というサービスによって打ち砕かれることとなる。
また、当時はヤフーが自らを「新聞少年」と標榜していた。つまり記事制作を行わず、あくまでそれを人々に届ける役目に徹するというわけだ。これにより、ヤフーとマスメディアの間には良好な関係が築かれていた。
もちろん、ヤフーに記事を提供しなかった新聞社もあった。
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