極限状態で求められるリーダーシップとは、どのようなものか。この難題を人々に突きつけたのが、1972年の冬に起きた飛行機墜落事故である。南米の雪山アンデスで、学生のラグビー選手団とその家族たちを乗せた飛行機が墜落し、その際に45名中12名が死亡した。あまりの悪天候で救助隊は墜落機を発見できず、負傷者と体力を失った者から次々と息絶えていく――。厳寒の雪山で、食料もわずか。こうした極限状況で学生たちはサバイバルを強いられることとなった。
事故直後にリーダーシップをとったのは、ラグビーチームのキャプテン、マルセロ・ペレスである。彼はかろうじて残った機内を整備し、負傷者を暖かい場所に集めて懸命に励ました。「夜が明ければ、きっと捜索隊が発見してくれる」。しかし、遭難から11日目の朝、絶望のニュースが無線通信機から流れてきた。悪天候のため、チリ当局が捜索活動を終了するというのだ。ペレスは自分の信念が打ち砕かれ、自信を失い、リーダーの役割を放棄した。そして、その後雪崩に巻き込まれて亡くなった。
ラグビーという一定のルールのもとで行うゲームでは、堅実なペレスは優秀なキャプテンだった。しかし、こうした不測の事態では、変化する現実に対応できるリーダーに変貌すべきだったのだ。
一方、自力脱出を主張していたナンドというメンバーが、リーダーとして期待を集めていくこととなった。リーダー経験は皆無だったが、彼は過度の期待や楽観主義は死につながることを理解していた。そのため、仲間にも安易な期待をもたせぬようにした。「あと少しで助かる」と思い込めば、現実がその期待を打ち砕いたとき、自分の心も死に引き寄せられてしまうからだ。
ナンドはこう心に誓った。「この山々に対して、知ったかぶりはやめる。自分の体験という罠にはまらない」。ナンドは八方塞がりの状況のなかで、歩いて脱出するという打開策を貫徹することに集中した。そしてついに村にたどり着き、救助を求めることに成功し、彼を含めて16名が生還した。
極限状況に打ち勝つリーダーシップとは、現実と向き合い、黙々と目的地へと歩みを進められる人のものだといえる。
リーダーはどのようにして、その他大勢から抜け出し、人を動かしていくのか。出世の極意を学ぶのに格好の人物は、アンドリュー・カーネギーである。
19世紀半ば、12歳のカーネギーは両親とともにアメリカに移住した。彼の最初の仕事は、綿織工場での糸巻だった。週給1ドル20セントという過酷な労働条件だ。あるとき工場責任者は、計算が得意なカーネギーに記帳の業務を任せた。これまで責任者は単式簿記で記帳していたが、カーネギーは大きな商社が複式簿記を使っていることを知り、夜学に通って知識を習得するという、驚くべき探求心と熱意を発揮した。
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