イノベーターたちの日本史

近代日本の創造的対応
未読
イノベーターたちの日本史
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近代日本の創造的対応
未読
イノベーターたちの日本史
出版社
東洋経済新報社

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出版日
2017年05月11日
評点
総合
4.2
明瞭性
4.0
革新性
4.5
応用性
4.0
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おすすめポイント

本書で紹介されるイノベーターたちのなんとかっこいいことか。明治から昭和初期にかけて、日本の近代を引っ張ってきた人物たちの共通点、それは若いころから勉学に励みグローバルな視点を持ち合わせていることである。一例を挙げよう。アドレナリンの発見で世界的に有名な科学者の高峰譲吉(たかみねじょうきち)は、幼い頃から学問の分野で頭角を現し、30歳までに工部省工部寮への入学、イギリス留学、国家役人、ベンチャーの立ち上げを経験している。その後政府の要請でアメリカに渡った譲吉はアメリカ人女性と婚約し、帰国後は人肥会社の設立や酵素の研究、再渡米後にはウイスキー製造と医学研究、研究開発ベンチャーの立ち上げまで行っている。凱旋帰国後には理化学研究所を立ち上げ、日本の基礎研究の発展に大きく寄与した。今から100年以上の昔に、世界を飛び回り歴史に名を残す偉業を成し遂げた日本人がいたことに、ただただ驚くばかりである。

西欧先進国から押し寄せる津波のような外生的挑戦や刺激に、いかに創造的に対応していくか。イノベーションの父、シュムペーターの言葉を借りると、まさしく「創造的対応」の連続だった日本の近代を支えたイノベーターたちの姿を、著者は歴史家の眼で明らかにしていく。

これらは学校の教科書ではまず学べない近代史であると同時に、激動の時代を生きたイノベーターたちの物語でもある。読み物としても非常に面白い。新しい挑戦に踏み出す人の心を鼓舞してくれるにちがいない。

ライター画像
和田有紀子

著者

米倉 誠一郎(よねくら せいいちろう)
1953年東京都生まれ。一橋大学社会学部、経済学部卒業。同大学大学院社会学研究科修士課程修了。ハーバード大学歴史学博士号取得(Ph.D.)。1995年一橋大学商学部産業経営研究所教授、1997年より同大学イノベーション研究センター教授。2012~14年はプレトリア大学GIBS日本研究センター所長を兼務。2017年4月より一橋大学イノベーション研究センター特任教授、法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授。現在、Japan-Somaliland Open University学長、アカデミーヒルズ日本元気塾塾長、『一橋ビジネスレビュー』編集委員長を兼務。イノベーションを核とした企業の経営戦略と組織の史的研究を専門とし、多くの経営者から熱い支持を受けている。
主な著書にThe Japanese Iron and Steel Industry,①850-1990: Continuity and Discontinuity(Palgrave Macmillan)、『経営革命の構造』(岩波新書)、『経営史』(共著、有斐閣)、『戦後日本経済と経済同友会』(共著、岩波書店)、『創発的破壊――未来をつくるイノベーション』(ミシマ社)、『オープン・イノベーションのマネジメント』(共著、有斐閣)などがある。

本書の要点

  • 要点
    1
    日本が江戸から明治という激動の時代を乗り越えられたのは、外的刺激に対する「創造的対応」により近代化を推進できたからである。
  • 要点
    2
    欧米列強による植民地化の危機さえあった幕末において、幕府は開戦ではなく「通商和平」の道を選ぶことで見事、危機を脱した。
  • 要点
    3
    財閥こそが明治維新後の変革期を乗り切るための組織イノベーションであり、そのカギは近代ビジネスを担える人材を登用し、人材の経験や知識といった経営資源を多重利用することであった。

要約

【必読ポイント!】 近代の覚醒と高島秋帆

情報感受性――アヘン戦争をめぐる情報収集と認識
Stewart Sutton/iStock/Thinkstock

日本に近代の覚醒をもたらした重大な外発的出来事は、アヘン戦争といってよい。この戦争は、日本にどんなインパクトをもたらしたのか。そして日本はどのように対処したのか。その一部を紹介する。

19世紀前半に至るまで鎖国政策をとっていた日本は、フェートン号事件を始めとする一部の外国船の来航を除いて、対外的な危機に見舞われることがなかった。しかし1830年代になると、隣国中国でアヘンが蔓延し始め、1940年にはついにイギリスと中国の間でアヘン戦争が勃発する事態となった。

これは日本にとっても大きな外患であった。著者によると、江戸幕府はアヘン戦争に関する情報の迅速な収集に努めており、幕府が掌握していた情報はかなり正確であったという。

幕府にもたらされる主な海外情報のルートは、朝鮮釜山と交易を認められた対馬藩経由と、長崎に来るオランダ人と清国商人がもたらす風説書の2つだった。風説書はもともとオランダ人が世界情勢を毎年まとめた『和蘭風説書』のみだった。しかし、幕府はアヘン戦争以後、より詳細な世界報告を記した『別段風説書』も要求しており、幕府が世界の動きにいかに強い関心を寄せていたかがわかる。

さらに幕府は、清国商人から得られた『唐国風説書』にも強い関心を示していた。こちらは原文(漢文)のまま読めたという事情も手伝って、現地からもたらされるアヘン戦争の臨場感は、幕府に強い危機感を与えた。このように、幕府は対極的な複数のソースから情報を仕入れていたのだ。

企業家としての高島秋帆
RomoloTavani/iStock/Thinkstock

ここで特筆すべき点は、高い感受性を持っていた志士たちが幕府だけでなく民間に存在したことである。その一人が吉田松陰であり、彼に師事した高杉晋作もまた、幕末の志士として有名である。ここでは、歴史上あまり触れられることはないものの、幕末に極めて重要な役割を果たした人物、高島秋帆(たかしましゅうはん)を紹介したい。

長崎で生まれた秋帆は、長崎町年寄だった父に語学や砲術を学びながら成長した。16歳のときには父から町年寄の役を受け継ぎ、以後砲台受け持ちとして砲術研究に励んでいた。秋帆が習得した荻野流の砲術は、当時の日本ではもっとも先進的であったが、西洋砲術にはとても太刀打ちできるものではなかった。幼少期を外国船籍の寄港などの混乱の中で過ごした秋帆は、危機感を抱き、当時西洋で最も進んでいた大砲を輸入し、自身で分解模造(現代でいうリバースエンジニアリング)をし、独自の砲術を完成させた。

また、秋帆の情報感受性の高さを伝える上で外せないのが、彼が蓄積したおびただしい数の洋書である。

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要約公開日 2017.10.12
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