インターネットの始まりは、第二次世界大戦のころにまでさかのぼる。当時、ドイツ空軍の戦闘機の追跡システムを開発しようとしていたのが、アメリカのトップクラスの科学技術者が集まっていたマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究者たちだ。彼らの研究のなかで生まれたのが、「サイバネティックス」という通信理論や、「考える機械」という発想である。これらがコンピュータ科学の発展を下支えすることになった。
その後、大戦後の平和も束の間、東西冷戦が激化していった。ソ連による核攻撃に耐える通信ネットワークを考えるべく、「センター・ツー・センター」でなく「ユーザー・ツー・ユーザー」の分散型ネットワークを構想したのが、ポール・バランだ。バランは、情報を小分けにして送信することも思いついた。
さらに、ネットワーク間をつなぐTCP/IPプロトコルが開発され、インターネットは急速に発展していった。あらゆる情報をつなげるワールドワイドウェブ(WWW)が構築されたのは、1990年のことである。
インターネットの歴史の第二幕は、1990年代初めからスタートする。アメリカ政府がインターネットバックボーンであるNSFNET(全米科学財団ネットワーク)を閉鎖し、民間のインターネットプロバイダーがその役割を担うことになった。国防と公益を目的として開発されてきたインターネットは、以降「収益化」されていった。
WWWを、高度なプログラミングスキルがなくても使えるようにしたのが、ネットスケープコミュニケーションズが配布したウェブブラウザだ。1994年、ネットスケープ社は、ベンチャーキャピタル企業から500万ドルの投資を受けた。ウェブ事業へこれだけの金額が投機されたのは初めてのことだった。そこから約1年後、ネットスケープ社は株式公開され、7億6500万ドルもの配当がベンチャーキャピタル企業に転がり込んだ。このIPOの大成功は「ネットスケープ・モーメント」として知られ、インターネットの商用利用を加速させ、若いIT長者たちを続々と生み出すこととなった。
経済の中心地はウォール街から西部へ移り、ベンチャーキャピタル企業から、アマゾン、フェイスブック、グーグルのようなIT企業にどっと資本が流れ込んだ。新しいインターネット経済は、「勝者総取り経済」の様相を呈し、新しい格差を創出した。オンライン市場では、ファーストムーバー・アドバンテージを得た一握りの企業が、独占的なネットワークを構築した。
オンライン商取引において絶大な支配力をもつアマゾンは、書籍産業から利益を搾り取っており、あらゆる小売りセクターから雇用を消失させている。
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