この世では、偶然では済まされないような不可思議な出来事が時として起こる。そうした出来事の背後には、人知の及ばない神秘的な意思の力が働いているのではないかと疑いたくなるかもしれない。
一見確率が限りなく低いようなことがなぜ起こるのか。それを説明するのが著者の提唱する「ありえなさの原理(The Improbability Principle)」である。さらに、この原理は「到底起こりそうもない出来事はありふれている」という主張の裏付けとなっている。
たまたまある人のことを考えていたときに、当人から何年ぶりかに連絡がある。そういった、私たちの日常の些細な出来事から、連続して航空機事故が起こるような社会的な出来事、さらには宇宙の誕生や人類の進化のような深遠な事象にまで、ありえなさの原理が深く関わっているのである。
私たちの宇宙の根底にはランダムさと偶然がある。宇宙は気まぐれなのだ。先述した不可思議な出来事の根底にも、このランダムさや偶然がある。まったく予測不可能に見えて、実はこうした出来事は起こってしかるべきなのである。それを説明するのに必要なのは確率の基本法則である。
私たち人類はありえない出来事に遭遇したときに、それをどのように説明してきたのだろうか。一つには迷信がある。野球選手がバッターボックスに向かうときに、左足から踏み出すといったジンクスやゲンを担ぐのもこれに含まれる。迷信とは、因果関係がないところに因果関係があると信じ込むことである。すなわち、過去に成功したというだけで未来の成功確率が変わると考えていることにほかならない。
また、未来を予告する予言は、目に見える兆候に基づいているものの、一連の証拠から浮かび上がる予測を丹念に評価して行われるわけではない。テレパシー、超感覚的知覚(ESP)、超心理学、シンクロニシティー(共時性)。これらも、ありえない出来事に関して提唱されてきた説明のごく一部にすぎない。
その一方で、17世紀から20世紀初頭のあいだに急速に科学が発達した。これに伴い、自然の仕組みを理解し、予測する力、自然を操る技術が生まれた。これを受けて、「科学の法則がすべての自然現象を決めている」という機械論・決定論的な見方が誕生した。因果関係を明確に定義した物理法則にしたがって、あらかじめ定められた道筋を進んでいくという考え方だ。この見方は「時計仕掛けの宇宙」と呼ばれることがある。
一方、20世紀を通して、宇宙は決定論的ではなく、根底にランダムさや偶然があることが科学的に分かってきた。それが「ありえなさの原理」の土台をなしている。
「偶然」とは何か。あるいは「確からしさ」、「ありえなさ」とは何だろう。こうした「確率」に関わる概念や言葉は、長い混乱の歴史を辿り、時に物議を醸すことさえあった。確率に関する議論は現在でも終息したとはいいがたい。それは確率が私たちの直感をしばしば裏切るからである。
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