1951年、ラジオDJのアラン・フリードが黒人のリズム&ブルースをロックンロールと呼んで、白人の若者に紹介し始めた。ロックンロールとは第二次世界大戦後のアメリカ社会の変貌を背景に、リズム&ブルースとカントリー&ウェスタンの要素が合流して、ポップのメディアで広がった音楽ジャンルである。
そのルーツのひとつであるブルースは、奴隷解放後の19世紀末に、黒人を取り巻く厳しい状況に反発し、それを笑い飛ばそうとするアンビバレントな感情から生まれた音楽だ。長い間黒人音楽の「レイス・レコード」として売られていたが、1949年からリズム&ブルースとして全米に流通し始めた。
1955年、校内暴力の問題を描いた映画『暴力教室』に、リズム&ブルースを取り入れたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が主題歌として使われたことで、ロックンロールはティーンエイジャーに広く受け入れられるようになる。
1950年代を代表するロックンローラーといえば、エルヴィス・プレスリーである。エルヴィスが生まれたテネシー州メンフィスは、古くから黒人音楽の中心地だった。少年時代のエルヴィスは、ラジオから流れる様々な音楽や黒人ゲットーで流行っていた音楽を聴きあさり、彼自身のロックンロールの土壌を作り上げていった。
1956年、エルヴィスは大手RCAから全米デビューを果たし、ティーンエイジャーを中心に爆発的な支持を受けることになる。同時期には、エルヴィス以外にもチャック・ベリーやリトル・リチャードなどの個性的なロックンローラーが誕生した。
この当時のロックンロール市場をリードしたのは、それ以前にレコード市場を支配していたメジャー・レーベルではなく、インディ・レーベルだった。しかし、45回転レコードの普及の波に乗り損ねたリズム&ブルースのインディ・レーベルは、その後衰退の一途を辿ることになる。
日本の若者風俗にも大きな影響を与えたのは、ジョージ・ルーカス監督の映画『アメリカン・グラフィティ』である。この映画では、1960年代を生きるアメリカのティーンエイジャーの姿が生き生きと描かれている。作中には多くのロックンロールナンバーが流れていた。
特筆すべき点は、1962年のアメリカが舞台であるにもかかわらず、1950年代後半のヒット曲ばかりが使用されていた点である。その理由は、1960年代のアメリカ音楽シーンはティーン・アイドルの全盛期であり、1950年代に活躍したロックンローラーが次々に姿を消したためだ。
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