豊田氏は、高校時代に芽生えた、脳という臓器を研究したいという興味に突き動かされ、脳神経外科医の道を志した。研修医の頃は、週に2回は当直をしており、36時間ほどの連続勤務は日常茶飯事だった。しかし、社会人1、2年目のうちに「患者さんのために一生懸命働いて、自分も共に成長する」という経験を積んだことが、財産になっているという。
そんな豊田氏が、コンサルタントという選択肢に興味をもつようになったのは、NTT東日本関東病院で働いていたときの上司、木村俊運(としかず)先生にかけられた言葉だった。「僕がいま30歳だったらマッキンゼーに行く」。
当時、豊田氏は日本の医療が変化する必要性を感じながらも、具体的なアクションはとれていなかった。この言葉を機に、コンサルタントや病院以外のキャリアについて調べるうちに、「もっと外の広い世界から医療を変える道があるのではないか」という気持ちが強まっていった。
とはいえ、日本で3年半の医師経験しか積んでいないのに時期尚早ではないか。そんな懸念を抱いていた豊田氏に木村先生は、さらに背中を押してくれた。「もし医者を辞めるのなら、十字架を背負う前に医者をやめたほうがいい」。
医療現場を離れる決意をするにあたり、もう一人背中を押してくれたのが、当時の脳神経外科の部長で、豊田氏が学生時代から慕っていた森田明夫先生だった。医師をやめようと思っていることを相談したときに、先生はこう言った。「医療を救う医者になりなさい」。これが豊田氏の人生を大きく変えることとなった。
そもそも豊田氏が日本の医療に違和感を覚えたきっかけは何だったのか。病院には、脳卒中で救急搬送される患者が後を絶たない。脳卒中の原因として、高血圧や糖尿病、タバコなどが知られている一方で、その治療はおろそかになっているのが現状だ。
日本の医療は国民皆保険制度を採用している。一人当たりの保険負担を減らしながら、誰でも時と場所を問わず、手厚い医療が受けられるという素晴らしい制度だ。一方で、人々が病気の予防意識をもちづらいという弊害もある。厚生労働省の発表によると、2015年にはおよそ42兆円のお金が医療に使われていたという。制度を維持するには、国全体で予防への意識を高めることが欠かせない。
今後、高齢者の増加とともに医療費が増大することは明白である。しかも、医療費の負担の内訳を見ると、保険料は全体の5割、患者自己負担は1割にすぎず、残りの4割は税金で賄われている。このことから、日本の医療財政は破綻してしまうという声も上がっている。まさに医療保険のあり方自体が問われている。
もし患者が病院に来なくなれば、医者はその人のために何もできなくなる。それが医療現場の課題の1つでもある。例えば、厚労省のデータによると、生活習慣病を患う50代男性の約半数が、命に関わる病気を起こす確率が高くなるにもかかわらず、治療をせず放置しているという。治療がなされるべき人が、結局はさらに悪化した状態で病院に来るのであれば、早めの治療開始が望ましいのは明らかだ。
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