著者は20代から会社経営をしていたが、もともとバスケットボールとはまったくの無縁だった。そんな彼がバスケットボール、そして千葉ジェッツ(現・千葉ジェッツふなばし、以下ジェッツ)というチームと関わるようになったのは、クラブの道永幸治オーナー(現・取締役会長)から「クラブ経営のアドバイザーという立場で全体の動きを見てほしい」と言われたことがきっかけだ。
当初は気軽な立場で参加していた著者だが、若い経営者たちは経営のノウハウをもっておらず、夢を語るばかり。これではうまくいくはずもない。思わず道永氏に対して、「絶対に手を引くべきです。間違いなく成功しません」と言ったほどだ。事実、クラブ経営はうまくいっていなかった。2011年に行なわれた開幕戦では空席が目立ち、当然ながら売り上げも芳しくない。資金も枯渇しはじめた。
オーナー、経営陣、スタッフに共通していたのは、とにかくバスケットボールが好きということだった。だから彼らは今後、ファンの数さえ増えればクラブ経営も安定すると考えていた。しかし現実はそこまで簡単ではない。困った道永氏は著者に対し、それまでの傍観者的なアドバイザーではなく、もっとしっかりと経営に携わってほしいと頼んできた。
当時とくにこれといった仕事もしていなかった著者は、かつて世話になった人物からの依頼ということもあり、ジェッツ経営のコンサルタントを引き受けることにした。そしてワード約40枚分の再建計画書を作成し、このままでは確実につぶれると“警告”した。
これでコンサルタントとしての役割は果たしたはずだった。
「戦える組織になっていない」――それが当時のジェッツであった。再建計画のなかで著者は、まず会社としての理念を作るべきだと説いた。数々の困難を乗り越えていくためには、ルールや役割分担を明確にしなければならないからだ。
この頃の著者の仕事は、週に一度オフィスに出向いて、再建計画にもとづいた組織運営が行なわれているかチェックすることだった。だがこつこつと改善していっても、すぐにクラブの状況が上向くわけではない。もどかしさを感じた著者は、身を引くタイミングを探りながらも、気づけば週に何度もオフィスに向かうようになっていた。そしてスタッフ一人ひとりの役割と責任を配分し、言い訳ができない体制づくりに取り組んだ。
また、ジェッツを再建するために、著者はあちこちに分散した株の買い戻しも行なった。当時ジェッツの株は法人を含めて40数カ所に分散しており、経営陣が理念にもとづいてビジネスをしようにも、主導権を発揮できない状況にあった。
本腰を入れて会社を立て直すのであれば、徹底的に仕組みを変えなければならない。無価値同然だったジェッツの株を、著者は売買当初の値段で買い取り、道永氏に譲渡した。株をなるべく一箇所に集約させることで、経営改革のスピードを上げることが目的だ。苦労の末、無事に道永氏が筆頭株主となり、著者とジェッツの関係も深まっていった。
経営陣たちに評価された著者は、当時のクラブ代表から「自分が社長を務めているよりも、島田さんが社長になったほうがいい」と告げられ、2012年2月1日、ジェッツの運営会社である株式会社ASPE(現・千葉ジェッツふなばし)の代表取締役に就任することにした。
ただこのとき、ジェッツには乗り越えなければならない壁が2つあった。ひとつは「財政難」、もうひとつは「ガバナンスの欠如」である。
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