「国債は国の借金だから、ないほうがいい」と考える人は、国債を個人の借金と混同している。国債を個人の借金と置き換えてはならない。むしろ企業の借金と同じ性質のものと捉えるべきだ。
一部の無借金経営企業を除くと、企業は銀行などから融資を受けて経営している。この循環がうまく回ると経済は活性化する。逆に融資を受けられないと投資が縮小し、経済も冷えこんでしまう。政府が国債を発行することは、基本的には企業がお金を借りることと同じである。
政府は国債を発行するのは、国会の予算委員会で決まった予算を、税収だけでまかなえないときだ。だから「国債は借金だからダメだ」といって発行しなくなると、政府が国内で使うお金は減る。つまり不景気になってしまう。予算を減らさず国債も発行しないとなると、予算のすべてをまかなえるくらいの税収が必要となり、今度は増税につながる。
要するに「国債は借金だからダメ」というのは、「緊縮財政になって不景気になってもかまわない」あるいは「増税されても仕方ない」というのと同じことなのだ。
国債は政府の借金である。ではいったい「誰」から借金をするのか。それは銀行や信用金庫、証券会社などの民間金融機関だ。
日銀が政府から直接国債を買うこともある。いわゆる「日銀引き受け」である。だがたいていは、民間金融機関がもっている国債を時価で買う。そしてその国債と引き換えにお金を刷るのである。この売買は「買いオペレーション」「量的緩和」と呼ばれており、景気回復に向けた金融緩和政策の一環として行なわれる。
国債は借金なので、当然利子がつく。日銀が国債から得る利子収入を「通貨発行益」と呼ぶ。その通貨発行益を日銀は「国庫納付金」としてすべて国に納める。政府にとっては税収以外の収入ということで「税外収入」となる。
つまり日銀が民間金融機関から買った国債に利子がつき、政府が日銀に利子を支払う。日銀はその利子収入を国庫納付金として政府に納める。それが最終的に政府の税外収入になるというわけだ。
国債が増えることは国民の負担増につながるとして、国債を悪者扱いするメディアは多い。では本当に国債がゼロになったらどうなるだろうか。
この問題を考えるためには、「金融市場における国債」について理解する必要がある。金融市場では、何らかの金融商品と国債を交換する取引が基本だ。たとえば自分がもっている◯社の株を△社の社債と交換したいとする。しかし相手に「◯社の株は欲しくない」と拒否されてしまうと、取引は成立しない。そこで国債の出番だ。株と国債の交換は簡単にできるので、その国債で欲しかった△社の社債を交換すればいい。
これを買い物に置きかえてみよう。自分がもっている大根3本をじゃがいも1袋と交換したいとする。その場合、相手が大根を欲しがっていなければ交換してもらえない。しかし大根3本を500円と交換すれば、そのお金でじゃがいも1袋を買うことができる。
この大根とじゃがいもが金融商品であり、お金は国債にあたる。お金が存在しなければ取引が激減するのと同様に、国債がなければ金融市場は成り立たないのである。
日本の国債発行残高は、おおよそGDP(国内総生産)の200%だ。だからといって、「月給30万円のお給料の人が60万円の借金をするようなものだから大変だ」と心配するには及ばない。
国債は借金なので利子がつく。その金利に納得できなければ、民間金融機関が国債を買うことはない。もし国債が買われなくなったら、需要と供給のバランスから金利はどんどん高くなるはずだ。
だが現実として、国債の金利は低いままである。これは国債を買いたい民間金融機関が多いことを意味する。つまり国債発行残高がGDPの200%あったとて、供給過多でないことは、金利が上昇していないという事実からも明らかなのだ。
そもそも企業経営の良し悪しを判断するとき、負債だけ見ることがないように、国の経営状態を見るときにも、国債という借金にだけフォーカスするべきではない。バランスシートの左側を見なければ、正しい状態を知ることはできないのである。
「◯年度の補正予算が成立、赤字国債△兆円追加発行」といった報道を目にすると、「赤字国債」という字面から、マイナスのイメージを抱いてしまう人もいるだろう。だが実際はお金に色などない。赤だろうがなんだろうが、国債は国債なのである。
国の財政運営について、財政法では「公債または借入金以外の歳入をもって歳出の財源とする」と定められている。つまり「国の予算は借金をせずに歳入(国の収入)だけでまかないなさい」ということなのだが、さすがに歳入だけですべてをまかなうことはできない。そこでインフラ整備などの建設に関する予算については、借金が認められてきた。これを「建設国債原則」という。
それでも財源が足りない場合、各年度に特例公債法を適用して、例外的に発行を認められているのが「特例国債」であり、これを「赤字国債」と呼んでいる。
いずれにせよ政府はまず予算を立て、足りない分は国債を発行して補うというだけの話である。それを政府の予算の中において建設国債と呼ぶか、特例国債(赤字国債)と呼ぶかの違いなのだ。もちろん金融市場における取扱いは、建設国債も赤字国債も同じであり、区別されることはない。
「このままでは、いずれ日本は財政破綻する。そして、日本国債は暴落する」という話を聞くたび、その兆しすら見えないのを不思議に思ったことはないだろうか。いったい誰が、どのような目的でこうした主張をしているのか。その根底には、財務省の思惑が隠されている。
財務省はスキがあれば、いつだって増税したいと考えている。財務省が増税をもくろむのは、それが財務省の予算権限を増すことにつながるからだ。仮に経済成長によって税収が増えた場合、それは財務省のおかげとはいえない。だから結果的に予算増となっても、要求官庁が財務省に恩を感じることはないだろう。ところが「増税」による予算増となると、話が違ってくる。増税による予算増は明らかに財務省のおかげであり、予算配分のとき、各省庁に恩を着せることができる。それはとりもなおさず、将来の天下り先の確保につながる。
また増税するときにはかならずといっていいほど、「例外措置」が設けられる。これは特定の業界などで税が軽減されるといった優遇措置のことだが、ここにも財務省の利己思考が働いている。要するに「あのとき優遇したのだから、引退した官僚の天下り先として受け皿を提供しなさい」ということだ。
国債暴落が起こるときは、日本が財政破綻するときである。日本が倒産しそうだとなれば、日本国債は叩き売られて暴落する。では実際のところ、国債暴落はありえるのだろうか。
現在の日本の国債は、だいたい0.1%前後という低金利の設定となっている。要するに「日本になら低金利でお金を貸してもよい」と判断している人が多いということだ。本当に日本が財政破綻しそうなほど危ういのであれば、誰もこんな低金利でお金を貸してくれるはずがない。
財務省が公表している日本政府のバランスシートを見ると、資産900兆円であるのに対して、負債(国債)は1350兆円である。これだけ見ると「日本はやっぱり財政難なんだ」となるが、これはあくまで日本政府単体の話だ。日本の財政状況を正しく把握するには、ここに政府の子会社ともいえる日銀のバランスシートを加えなくてはならない。
政府と中央銀行のバランスシートを合体させたものを「統合政府バランスシート」という。これを著者が試算したところ、資産として国債400兆円と徴税権(税収)750兆円、負債として銀行券など400兆円が加わり、結果的に資産が負債を上回った。しかも銀行券等は実質的に債務ではないので、利子負担や償還負担もない。
こうしてみると、日本が財政難でないことは一目瞭然である。アベノミクスの「3本の矢」の1つ目として、日銀が量的緩和策を実行してきたことで、財政再建はとっくに終わっていたのだ。
「政府の借金が増えて問題」という指摘がある一方で、「日銀が大損するから問題」という指摘もある。日銀が民間金融機関の保有する国債を高値で大量に買っているため、景気がよくなったときに国債価格が下落してしまい、多額の評価損が生じてしまうというものだ。
だがこの指摘についても、統合政府バランスシートの観点から見れば、なんら問題のないことがわかる。日銀の資産の評価損は、政府の負債の評価益となる。なぜなら日銀と政府は子会社と親会社のように表裏一体だからだ。一方の「負債」はもう一方の「資産」である。それはとりもなおさず、一方の「損」はもう一方の「利益」になることを意味する。
以上のように、日本の財政状態に問題がないことは明らかである。しかし仮に財政問題があったとして、あるいは将来起こったとして、そのときにまずやるべきなのは資産の売却だ。増税や歳出カットではない。
民間企業の場合、経営が立ち行かなくなったら、関連子会社や事業の一部を売却して、経営を立て直そうとする。国の財政問題でも同じである。2009年に財政の大赤字が発覚したギリシャでも、当然のことながら政府が保有する資産の売却が大々的に行なわれた。
日本政府の資産の大半は金融資産だ。だから売ろうと思えばいつでも売れる。そういう資産をたくさんもっているのに売ろうとしないのだから、日本の財政破綻はありえないというのが、海外の見方である。
ではいったいなぜ日本は資産の売却をしないのか。それはもちろん財政状態に問題がないからだが、そこには「売りたくない」という本音も隠れている。というのも日本政府の金融資産は、天下り先の出資金や貸付金が大部分を占めているのだ。将来の自分たちの落ち着き先がなくなっては困るので、売りたくないというわけである。
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