明治大学は、高校生から見る大学の実力という観点でも、この10年間で評価を高めてきた。大学のブランドイメージ改革の経緯をたどっていこう。
明治大学のシンボル「リバティタワー」。高さ120メートル、地上23階、地下3階であり、創立120周年記念事業として1998年に建てられた。リバティタワーという名前は、明治大学の建学の精神である「権利自由」に由来する。今でこそ当たり前になっているが、当時は大学が高層ビルを建てるなど考えられない時代だった。都心型キャンパスの先駆けは、明治大学だったのである。
土屋恵一郎明治大学長によると、昭和の建築様式を捨てて、完全な高層タワーを建てることで、大学のイメージを刷新しようとしたという。明治大学は伝統校だが、同時に常に新しいことを追求してきた。最先端の設備を整え、ホテルと見間違えるようなしつらえになったキャンパスが、学生のプライドのひとつになる。こういった部分から大学の人気が出れば、それは学生にとって誇りになるのではないか。そんな狙いがあったのだ。
2004年、明治大学は、志願者が7万人台まで落ち込むという厳しい状況に陥った。その前後から、明治大学を変革しようという意識が芽生えていった。さまざまな内部的な規則や制度を改めながら、民間企業と同じだけの強度を持った大学組織をつくりあげようという発想が強まっていった。
こうした意識のもと、学生の教育や研究を支える基盤を固めながらも、常に新しいものを取り入れていった。明治大学の戦略は、優秀な研究組織が生まれる風土づくりに大きく寄与したといえる。
これらの大きなシフトチェンジの後に推し進められたのは、明治大学の国際化である。それまでの明治大学は、留学生もそれほど多くない、国際化とは縁のない大学だった。しかし、大学の予算の配分を国際化に多く振り分けるようにした。こうした取り組みが奏功し、2007年には、受験の志願者数が10万人を突破した。
リバティタワーはたしかに、明治大学のイメージを一新するシンボルであったかもしれない。しかし、実際のブランドイメージの変化は、大学が戦略的に動くことで達成されたのである。
2004年の志願者数激減に危機感を覚えた明治大学は、2007年に「全学部統一入試」を導入した。これは、8つの学部(当時)が共通の試験問題で入試を実施する制度だ。一度の受験で複数の学部に出願できるメリットが大きな反響を呼んだ。さらには、受験地を首都圏3つのキャンパスだけでなく、札幌、仙台、名古屋、福岡と、全国5都市に広げた。
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