人は一人でも生きていけるのだろうか。現代なら経済的・身体的条件がそろえば、一人で生きていくことも可能だろう。しかし、人は本質的に他者とのつながりを求める生き物だ。そして、つながりを求めるがゆえに、かえって傷ついたり、人を追い詰めたりするような状況に陥ることがある。
その理由は、「ムラ社会」の時代に培われた「親しさを求める作法」に、私たちが今なお愚直に従っているからだ。「同質性」を前提とするムラ的な共同体の作法では、多様で異質な生活形態や価値観をもった人々が共生する、いまの時代にフィットしない面が出てきてしまっているのだろう。この伝統的な作法から脱却し、人と人との距離感を見つめ直すべきときがきているのではないか。
今後求められるのは、気の合わない人とでも一緒にいる作法、新たな「親しさを求める作法」を身につけることだ。人と人とのつながりに関する、こうした発想転換が本書の重要なテーマとなっている。
人とのつながりの中に、人間は何を求めているのか。一つは、人間関係を築くことで、利得や利益を得ようとする場合だ。お金儲けや出世のためというように、あくまで、目的はつながりの「外」にある。
これに対し、人とつながること自体が目的となる場合が、もう一つのケースである。損得を越えた、親子関係や「この人といると楽しい」と感じさせる友人関係が、これに当てはまる。後者の、つながり自体が目的となるような人間関係を、本書では「交流」と表す。
人とのつながりを求めるのは、幸せになりたいと思うからだ。心からの交流を求めることで、自分と周囲の人が幸せを感じられる。これこそが生きることの一番の核となっているのではないか。
幸福の具体的な形は人それぞれであるが、本質的には、次の二つのモメント(契機)に絞られる。一つ目は「自己充実」というモメントである。「これは自分に向いている」「やっていて楽しい」と思えることに、自分の能力を最大限発揮できている場面だ。これは「自己実現」のモメントといってもよい。
二つ目は、「他者との交流」というモメントだ。交流から得られる歓びは、さらに「交流そのものの歓び」「他者から承認される歓び」に分けられる。「交流そのものの歓び」とは、とにかく一緒にいるだけで楽しい、心地いいというように、つながりそのものがもたらしてくれる幸福感である。また「他者から承認される歓び」は、社会的関係の中で、自分の活動や存在自体が認められるという、この上ない歓びだ。
このように、幸福を語るときの大事な核は、この二つのモメントに集約される。
これまで述べてきた「他者」とは、自分以外のすべての人間を指す。そのうえで、著者は次のような提案を投げかける。「他者は、自分とは違う考え方や感じ方をする他の人間」。そう考えたほうが、人とのつながりをめぐる複雑な問題がうまく解きほぐせるかもしれない――。
他者は、「見知らぬ他者」と「身近な他者」に分けられる。いくら親しくて信頼できる「身近な他者」であっても、自分が知らないことがあるし、自分とは違う性質をもっている。これを「異質性」と呼ぶ。そして異質性こそが、あらゆる人間関係を考える際の大前提になる。相手が他者であるという本質的な性質を理解するところから、真の親しさが生まれる。
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