「コミュニティ作りを応援し、人と人がより身近になる世界を実現する」。これはFacebookが創業以来、はじめて変更した企業ミッションである。コミュニティは昔から存在していた。しかしいまコミュニティのあり方が、劇的に変化しようとしている。Facebookの企業ミッション変更はそのあらわれだ。
コミュニティについて考えるときのキーワードは「安心と自由」である。人間は同時に安心と自由を手に入れたがる。しかしこの2つを同時に手に入れることは、これまでとても難しかった。
村社会や終身雇用の崩壊により、コミュニティが失われつつあるなかで、他人の生き方について指図する人はほとんどいなくなった。そうした意味で、私たちは圧倒的な自由を手に入れたといえる。しかし同時に、コミュニティがもたらす安全・安心を失ってしまった。
社会が発達すればするほど、人間は自分を社会に合わせようとして、不自由な社会に住むようになった。その後インターネットの登場により、今度は自由な社会がもたらされようとしている。
インターネットへの評価は人によってさまざまだ。インターネットによる効率化は非人間的で世界を息苦しくさせるという人もいれば、インターネットによってより人間的な生きやすい時代が到来するという人もいる。
インターネットビジネスで成功している人は、インターネットの方がアナログ社会よりも「なめらか」になっているという。たとえばUberは車の使用をより「なめらか」にする仕組みだし、Amazonは欲しいと思った商品がすぐに届くという意味で「なめらか」だ。
このように誰もがネットに常時接続できるような状態になると、社会がどんどん「なめらか」になる。自分に社会を合わせることが可能な時代がやって来ようとしている。
アイデンティティのあり方も変化しつつある。モノがなかった時代は、いい学歴、安定した企業、マイホーム、高級車やブランド品など、アイデンティティのよりどころが「なにを手に入れているか」にあった。ところがモノが溢れ、すべての価値観が許容されるようになると、「なにをやっている人か」、「なぜやっているか」という「個人の価値基準そのもの」の方が重要になってきた。
しかしここにひとつの問題がある。現行の日本の教育システムが、新しい価値観への移行を阻んでいるのだ。これまでは正解がある問題を与えられ、それを解くという問題解決型の教育がされてきた。しかしいま求められているのは、ブレない価値観をもち、「自分の好き」を大切にして、自分が取り組む問題を発見する能力である。問題解決型から問題発見型への移行がいま、必要とされている。
インターネットには人々を自由にし、社会をなめらかにする作用がある。しかし自由になった人々は、心のよりどころをなくしてしまった。いま多くの人は、幸せを感じられていないのではないか。
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