同じ料理人という仕事をしていても、腕前や待遇には大きな差が生じる。その差を生じさせているのは、「覚悟」の有無だ。「どんなことがあっても、やり抜くぞ」という決意の強さがあれば、腕前は上がり、地位も待遇も向上させていける。
著者は修業時代に「逃げる、よける、避けるは、絶対にするな!」という精神を叩き込まれた。人間は、強い覚悟を持ち続けていなければ、すぐに楽なほうに流されてしまうものだ。だからこの言葉を肝に銘じ、絶えず自分自身の位置を引き戻さなければならない。著者は毎日この言葉を自分に言い聞かせて、自分自身の覚悟の度合いを点検してきたという。
著者は、仕事中は一切食事をしない。満腹状態で料理をつくると、味が不確かになるからだ。
著者は昔、休憩時間に仲間とともにこっそりカレーを食べに行ったことがある。しかし、それが先輩たちに露呈してしまい、ボコボコにされたという。カレーのような香りの強いものを食べてしまうと、日本料理の繊細な味付けを判別することは不可能だという理由からだ。
また著者は、生まれてこのかたお酒を飲んだことがない。お酒は舌の感覚を麻痺させ、香りを鈍らせるからだ。だから、他店で「板さんもどう?」などと言われてお客さんからお酒を注いでもらっている板前を見ると、驚くと同時に憤りを感じる。
板場というプロフェッショナルである以上、料理の世界に精通し、その道を究めようとしなければ成功にたどり着くことはできない。
著者は、店でチップをいただけば、お礼を申し上げに行くという。するとお客様は挨拶を返してくれ、商売や株式、景気や経済動向にまで話が及ぶこともある。企業の幹部や株のデイトレーダーなどといったお客様たちと会話するため、著者は、経済新聞を読み、株価の動向を見ておき、政治や社会情勢にも気を配るのだ。
一流の銀座のママは、数紙の新聞や雑誌をチェックしておき、あらゆる話題についていけるようにするというが、板場も同じようにするべきだ。料理でプロフェッショナルであらなければならないのは当然のことだが、接客においてもプロフェッショナルにならなければいけないのだ。
著者は、小学校5年生のときに、実家の料理屋での修業をスタートさせた。修業で忙しく、学校には満足に通えなかったので、中学生のときには科目別に6人の家庭教師をつけていた。勉強は毎晩、店での仕事を終えた後の21時から1時までで、勉強机の椅子にくくりつけられて、父に監視されながら取り組んでいた。
当時学んでいた科目は、数学、化学、歴史、国語、料理だ。料理では、料理の歴史を学んでいた。昔の故事にならって出来上がった料理を習ったり、料理の基礎となるタンパク質やアミノ酸の構造を学んだりと、料理人になるための英才教育ともいえる勉強であった。
高校卒業後は、大阪の料亭「八光」で修業をした。同期は40人で、料理屋の跡取り息子や旅館の長男坊など、すでにそれなりの技術を備えている者ばかりであった。
しかしその同期は、1年後にはたった2人を残して辞めてしまう。それもそのはず、
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