1992年のバブル経済崩壊から25年以上が経ち、「失われた25年」になろうとしている。この間、1997年のアジア通貨危機、2008年のリーマン・ショック、さらには2011年の東日本大震災と困難が続いた。また2008年を境に、日本は人口減少へと向かっている。
怒涛の経済成長とバブル経済崩壊を経て、対外的には東アジア諸国地域の経済発展が強く意識されるようになった。それに伴い、成熟化、グローバル化の中での日本の存在感は希薄化しつつあるといってよい。
こうした産業社会の変化を端的に示すのが、中小企業がその多くを占める、企業の事業所数の推移である。総務省の統計によると、全国の民営事業所数は1991年の655万9377をピークに、2016年には535万9975にまで減少している。
特に製造業の事業所の減少は著しく、1986年に87万4471あった事業所は2016年には45万3810と、その数をほぼ半減させている。昨今は「ベンチャー」「起業」といった言葉がもてはやされているが、増加している事業区分は「医療・福祉」「農業・林業」くらいである。
次に廃業率と開業率の推移について見ていこう。90年代前半ですでに、廃業率は開業率を上回った。とりわけ製造業では、90年前後から一貫して廃業率が開業率を上回る状態が続いている。
製造業の退出が進むのは、設備投資の負担が大きく、重量級であり3K色の強い部門からである。機械金属産業だと、鍛造、熱処理、メッキ、大物製缶溶接、大物機械加工といった順番となる。
比較的3K色の弱い金型部門では、以前は中古のフライス盤を1台導入して、数十万円の投資で起業できた。しかし現在は、マシニングセンター(MC)、放電加工機、研削盤などを揃えなければならず、初期投資に少なくとも1億円がかかる。このような事情も、製造業の起業を以前に比べて格段に難しくしている。
一方、開業が多い分野は、パソコン1台からでも起業可能なIT関連、居抜きの貸店舗で開始される飲食業や美容業、農産物の直売・加工、介護・福祉関連などが挙げられる。共通するのは初期投資が少なくてすむことであり、女性による起業が目立っている点だ。
まずは、既存事業の現状を概観する。日本の産業における多くの事業分野は成熟化が進む。繊維・日用品などの部門では、中国・アジアへの生産移管が著しい。特に繊維製品の96~97%は中国、アジア(東南アジアおよびバングラデシュなどの南アジア)製となっている。他方、1960~70年にかけて、大都市から日本各地に移管された工場群の大半は撤退を余儀なくされている。
近年、繊維・日用品の領域では、新たな生活様式に応えた起業が増えつつある。その一例が、セミオーダーのニット製品を手掛ける「ユーティーオー」である。岩手県北上市郊外に工場を構え、高級の羊毛であるカシミヤを素材に、一点ずつオーダーに応えて、手作りで生産をしている。価格は10万円前後。高額であるが、利用者の60%はリピーターになるという人気ぶりだ。
次に新しい事業分野の動きに目を転じてみる。この20~30年においては、グローバル化に伴う「貿易や投資などに関連する事業」、高齢化に対する「医療・福祉系の事業」が拡大している。また、IT技術が進展するにつれ、多様な「IT関連企業」が登場した。「農業関連産業」は今世紀に入ってから、既存の発想にとらわれない、さらなる拡大の様相を呈している。
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