米国の大学教育には感嘆するところもあるが、そうでないところもある。ただし、日本が学ぶべきところは数多い。
すごくないところの一つは、文系学生の数学力があまり高くない点だ。米国の大学や大学院に入学するための試験は、日本の中学校レベルと言える。また成績評価も、「米国の大学は成績のつけ方は厳しく、下手したら退学になる」という日本の通説は神話であり、成績が悪くて中退になるような学生はまれである。授業のクオリティも期待したほどすごくなく、学生のレベルも上澄みの学生同士を比較すると、日米にさほど差はない。
では逆に、米国の大学のすごいところはどこだろうか。目もくらむばかりの豊かさもあるが、米国の大学教育の最大の強みは、平均点以上の知的エリートを育てる点にある。「上澄みの学生は日米でさほど差はない」と述べたが、全学生の平均値という点では、米国の一流大学の方が断然上だろう。
その最大の理由は、「米国の大学はインプットとアウトプットの量がとにかく多い」という点にある。百本ノックのように、次から次に読書、レポート、プレゼンテーションの課題が降ってくるため、否が応にも知的筋力が付くのである。日米の学生の差を生んでいるのは、インプット量、読書量の差であり、米国のエリート学生は、大量の読書を強いられるため、平均値が高いのである。スタンフォードの学部生だと、四年間で最低でも四八〇冊の本を読むことになる。
さらに、米国の大学では娯楽がなく、勉強に集中することができる点も日本と異なる特徴と言えよう。よく作家が原稿執筆に集中するために、ホテルに缶詰になるが、その状態がずっと続くようなイメージだ。そうした刺激の少なさは、文化を生むという点ではマイナスだが、一生のうち数年間ぐらいは、修行僧のような生活を送るのも悪くないかもしれない。
日本は学歴社会だが、米国は“自由の国”なので、実力さえあれば、学歴にかかわらず出世できる――そんなアメリカンドリームを信じている日本人も多いかもしれない。しかし、それは幻想だ。「米国は日本以上に学歴社会である」というのが現実である。
大企業のお偉方の多くがトップスクールの出身者であるだけでなく、シリコンバレーでも学歴が重視される。スティーブ・ジョブズのような大学中退組は例外で、「まず勝負の土俵に上がる」「チャンスの幅を広げる」という点で、学歴は成功へのチケットとなる。米国では学者を目指しているわけでもないのに、「学部を出た後、大学院を二つも出ている」といった人はザラにいる。
学歴が重視される背景には様々な事情があるが、最も重要なのが「コネづくり」だ。会社という枠を超え社会全体に広がる「大学閥」は貴重で、卒業生を含めた一流大学のネットワークに入れるか否かで、情報量やチャンスの多さに差がつくのである。
日本の大学で文系の一番人気は法学部だ。しかし、米国の学部に法学部はなく、ロースクールは大学院にしかない。法学部がない米国で一番人気の学部は、経済学部である。その背景には、自己責任、個人主義を徹底している米国では、人生において常に、自分自身で判断を下すことが求められ、そのときに良い答えを導くための指針となるのが経済学だからだと考えられる。
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