本書では、著者が人質交渉人として体験した交渉のエピソードがいくつか紹介されている。武装した銀行強盗や南米のゲリラとのにらみ合いの緊迫感。フィリピンのテロリストとの戦いで身にしみた無力感。人生相談ボランティアの苦い思い出。もちろん、必ずしもすべてが成功物語ではない。中には大失敗もあった。
FBI時代には、この失敗が許されなかった。失敗すれば人が死んでしまうからだ。そこで、交渉人たちの経験に基づく感覚的な手法を、必ずうまくいくツールに落とし込む必要があった。そのために著者は、高名な教授陣やエリート学生らが集まるハーバード・ロースクールで自らの交渉術を磨き上げていった。
本書では、著者やその教え子たちが、これから紹介する強力な交渉ツールをいかに活用し、交渉を成功に導いたかが述べられている。たとえば、車やシャツの値引き、飛行機の座席の確保、希望する部門への異動。これらは、人質交渉よりもずっと身近な例であるため、多くの読者にとって役立つだろう。
交渉の流れをたどりながら、主なポイントを紹介する。まずは「アクティブ・リスニング(積極的傾聴)」である。ポイントは、自分の最大の集中力を、相手と相手が言わんとしていることに向けることである。目標は、相手が何を必要としているのかを見極めること。そして、要求について相手が少しでも話せるように、安心感を与えることである。その時には、交渉をスローダウンさせるのが望ましい。こちらが急ぎすぎると、相手は話を聞いてもらえないと感じる可能性があるためだ。
また、相手との絆を形成し、同調し、信頼の礎となるつながりをつくるには、ミラーリングが効果的だ。「申し訳ないが……」と切り出し、相手の言葉を鏡のように、あるいはオウム返しのように反復する。そして、しばし沈黙することでその先を促す。相手が言った最後の言葉か、重大な言葉をくり返すのである。これは、相手からの信頼を得ながら情報を収集できる、確実な手法だ。
ミラーリングの際は、相手の心を鎮めるような深夜のFMラジオDJの声を使うとよい。深く柔らかな、落ち着いた理性的な声である。この声で語尾を下げて話せば、「主導権はこちらにある」というメッセージが伝わる。話の中身だけでなく、声のトーンや表情、身振りなどの非言語的なコミュニケーションも、交渉の結果を大いに左右するのだ。
著者が交渉時にすすめるのは、戦術的共感である。これは、相手の感情を理解し、その感情の「裏」にも耳を傾けて、こちらの影響力を増大させることを指す。
相手の感情を受け入れた後は、それを言語化し、共感を示す「ラベリング」の出番だ。ラベリングは、人の感情を受け入れることで、それを認証する手段である。相手の感情に名前をつければ、その人が相手の感情に自分を重ね合わせていることを知らせることができる。
また、ネガティブな感情の発散や、ポジティブな感情の強化にもつながる。大切なのは、いったんラベリングしたら、黙って相手の話に耳を傾けることである。
また、相手から非難されそうな点については、事前に洗い出しておく「非難の聴取」によって対処するとよい。相手が言いかねない最悪のことをリストに書き出し、相手に言われる前に、先回りして口に出すのである。これによって、相手の感情をかなり弱められるはずだ。こうした非難は声に出すと大げさに聞こえる場合が多い。そのため、非難をこちらから口にすることで、相手に「そうではない」と言わせやすくなる。
交渉相手が、評価されたい、理解されたいと望んでいることを忘れないようにしよう。
交渉を進展させるためのカギは何か。それは「ノー」「そのとおりだ」と答えさせることだという。「ノー」は交渉の起点であって、終点ではない。実際にはこちらが主導権を握っているのに、相手に「やり取りをコントロールしているのは自分だ」と錯覚させ、安心感を与えるのが重要である。
どんな交渉においても、最も甘美な言葉は、「そのとおりだ」である。これは「相手の言ったことが正しい」と、自分の意志で公言したことになる。「そのとおりだ」を引き出すには、「要約」が有効である。よい要約とは、言われたことの意味を声に出してくり返すこと。そして、その意味の背後にある感情を受け止めることである。つまり、言い換え+ラベリングだ。
対決を協力に変えるには、「狙いを定めた質問」が有効となる。相手からの要求に対し、「どうしたら」「どうやって」など、イエスかノーかでは答えられない質問を返す。これにより、こちらの問題を相手に考えさせるという手法だ。「できない」と突っぱねるのではなく、直接「ノー」と言わずに「ノー」を伝える。そのうえで、相手をこちらの思う方向へ誘導するのが肝である。
たとえば巨額の身代金を要求されたとしよう。「どうしたらそんなに用意できるのか」という質問で返せばどうか。誘拐犯のほうが考えを巡らせ、歩み寄るかもしれない。狙いを定めた質問によって助けを求めることで、相手に「自分が主導権を握っている」と錯覚させるのだ。
ただし、「どうしたら」「どうやって」という質問と、「なぜ」から始まる質問は、似て非なるものだ。「なぜ」という質問は、ともすると相手を非難しているように聞こえかねない。よって問いかける際には、細心の注意が必要となる。
交渉では、相手の現実を曲げることも時に必要となる。その場合、現実の数字や事実ではなく、相手の感情に的を絞ってアンカー(錨)をおろすとよい。相手の恐れをすべて受け止める「非難の聴取」を行うのである。
自分がオファーをする前に、それがいかに良くないものかを告げて、感情面のアンカーを固定しよう。アンカーで固定されると、「論理的」で「公正」な事実よりもむしろ、「不合理な感情」に左右されざるを得なくなる。
数字を言う段が来たら、極端なアンカーをおくことで自分の「本心の」アンカーが妥当なものだと思わせるとよい。あるいは、数字に幅を持たせて、あまり強気だと思われないようにする。
人は利益を得るためよりも損失を回避するために、より大きなリスクを取る。何もしなければ失うものがあるということを、相手にわからせることが重要なのである。
ようやく相手に「イエス」と言わせた後も、油断してはいけない。「イエス」は確約だけでなく、その場しのぎに使われることもあるからだ。誠実で嘘偽りのない、実現可能な「イエス」を確保するためのポイントを紹介する。
「イエス」には「どうしたら」が伴わなければ意味がない。「どうしたら」の質問を使い、交渉の環境を整える必要がある。そのためには、「どうしたら私にそんなことができるというのですか?」を、「ノー」の穏やかな言い換えとして使うとよい。これを受けて交渉相手は、他の解決策を探すように、それとなく促される。
また、直接交渉している相手にだけ注意を向けていてはいけない。つねに「テーブルの背後」にいる関係者たちの動機を見抜くようにしよう。
「イエス」が本物か、その場しのぎかを確認するには、「3のルール」が有効だ。狙いを定めた質問や要約、ラベリングなどを使い、交渉相手に少なくとも3回は、合意内容を再確認させるとよい。繰り返し嘘をついたり納得しているふりをしたりするのは、とても難しいことだ。
トップレベルの交渉者をめざすなら、相手の交渉スタイルを見極めることが重要である。交渉相手をタイプ別に分類する簡単な手引きと、それぞれに適している戦術を紹介しよう。相手に合ったアプローチで交渉を進めてほしい。
(1)分析型:
几帳面で勤勉なタイプ。正しく決着をつけるまで、それなりの時間をかける。単独で仕事をすることを好み、自分のゴールから横道にそれることはめったにない。徹底的な準備をする。
相手が分析型の場合は、明確なデータを使い、比較によって異議を唱え、事実に焦点を当てるとよい。不意打ちは避けて、まずは考える時間を与えよう。
(2)順応型:
社交的かつ楽観的で平和を求める。その一方で、注意が散漫で、時間管理が下手な一面もある。
順応型にとって重要なのは、関係を築くために費やした時間である。順応型が交渉相手ならば、相手の言いたいことに耳を傾け、社交的・友好的でいるのが望ましい。
(3)主張型:
気性が激しく、勝利を何よりも愛する。攻撃的で、話を聞いてもらいたがる。自分の話をとことん聞いてもらったと思うまでは、相手の話を聞こうとしない。
主張型の交渉相手には、ミラーリングが素晴らしいツールとなる。ただし、主張型が何らかの妥協をしたなら、見返りに何かを得ることを待ち構えていると思っていい。
これまで、交渉では相手の話に耳を傾け、できるだけ多くの情報を収集・分析するべきだと述べてきた。知らなかった情報を引き出して、吟味する。しかし最後に、まだ隠されている情報を見つけなくてはならない。それが「ブラック・スワン」だ。
ブラック・スワンとは、そこにあるとは思いもよらなかった決定的な要素である。「未知の未知」といってもよい。これが表面化すれば、状況を一変させる可能性がある。このブラック・スワンを見つけるにはどうしたらいいか。
まずは、相手から聞いたことを、すべて再確認する。チームのメンバーとメモを突き合わせて、ダブルチェックをしよう。その際、電話でのやり取りを聞くだけの、バックアップ担当の聞き手を活用するとよい。あなたが聞き逃したことも、拾い上げてくれるはずだ。
また、「相似の原理」を利用するのも有効だ。人は、文化的に似ている相手に、より譲歩しやすい傾向がある。そのため、相手を動かすものを見つけ出し、あなたが共通点を持っていることを示そう。アイデアや服装でもかまわない。
特に、大事なのは相手の「信仰」を理解することだ。その世界観を掘り下げ、交渉のテーブルを超えて、相手の人生に踏み込んでいく。ブラック・スワンがいるのはそこである。
できれば、相手と顔を合わせるのが望ましい。何日も調査をするよりも、10分間顔を合わせるほうが、多くを明らかにしてくれるからだ。相手の言語・非言語のコミュニケーションに、特に注目するとよいだろう。
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