著者が落語家を志したのは、東京理科大学の4年生だったときだ。弟子入りするため、歌丸の家へと向かった。しかし、手土産を持っていなかったり、挨拶の言葉が思い浮かばなかったりして、あきらめて帰ってしまうことが2度続いた。
3度目に向かったときは、歌丸が玄関から出てくるのを待つ作戦をとることにした。しかし、彼は不在の様子だ。家の中をのぞき込んでみると、歌丸の奥さんと目が合う。慌ててしまい、歌丸に言おうとしていた「入門したいんですけど」というセリフが口をついて出てしまった。おかみさんは、2日後に東陽町の寄席「若竹」に行くようにと言ってくれた。
当日、歌丸に入門したいむねを伝えた。しかし質問されるがまま、教師を目指すつもりだったことを話すと、「そのままの道を進んだほうがいいよ」と言われてしまう。続けて「落語家は食える仕事じゃない」「親は承知しているのか」などと言われ、すんなりとOKが出ない。「もう1回ウチに来なさい」という歌丸の言葉で、15分ほどの面接が終わった。
言われたとおり、数日後に歌丸の家に向かう。歌丸は、居間でテレビを見ていた。ぽつりぽつりと世間話を交わすが、いつまでたっても本題に入らない。
しばらくすると歌丸は自室に入り、自分が出演した「笑点」の録画をチェックしはじめた。話しかけても、夢中になっていて返事をしない。しばらくすると突然、「次は3日後に来なさい」と言われた。著者は言われたとおりに訪問するが、いつも「笑点」を見ている歌丸のそばに座っているだけ。弟子入りを許可するとも断るとも言われない。そんな日々が2カ月近く続いた。
ある日、歌丸の部屋に呼ばれた。何を言われるのだろうとドキドキしていると、歌丸が筆ペンを取り出し、白い紙に「歌児」と書いた。そして目を丸くしている著者に向けて「おまえの名前だよ」と言ったのだ。こうして著者の弟子入りが許された。
最初に教わった噺は、「新聞記事」だった。歌丸と差し向かいで座布団に座り、一席通してしゃべってみせてもらった。そのあと、細かいしぐさを丁寧に教えてくれた。
「新聞記事」は、身振り手振りなどのしぐさをともなう仕方話だ。落語では、小道具として扇子と手ぬぐいだけを使ってよいことになっている。扇子を刀や木刀に見立てて演じていくというわけだ。
しかし、
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