経営学のゴールは、実務者に経営に関する知識を提供することである。著者は、実学としてノウハウや経営に対する「最適な処方箋」を提供しようとする。同時に、経営を行う組織と個人に関する「普遍的な法則性」を科学として示す。このように二兎を追うのが本書の目的だ。著者は、経営戦略における実務と理論の両方を論ずることで、両方を結びつけ、橋渡しすることをめざしている。
では経営戦略とはどのように定義されるのか。まず、経営戦略の骨格は、「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」にある。つまり、「組織」があり、到達すべき「目標」があって、それを達成するに至る「道筋」が、その骨格というわけだ。欧米の教科書によると、経営戦略は、「特定の組織が、何らかの目的を達成するために、外部環境分析と内部環境分析から作り出した道筋」と定義できる。
経営戦略を「特定の組織が何らかの目的を達成するための道筋」と捉えてみよう。その場合、経営戦略の起源は、紀元前にまでさかのぼることができる。当時、ピラミッド建設などの大規模なプロジェクトでは、戦略がなければ遂行は不可能だった。また、戦略に関して記された書物の原点は、「孫子の兵法書」にあったといえる。
1900年代に入ると、フレデリック・テイラーによって経営を科学する手法が登場した。テイラーがめざしたのは、科学的管理法による生産改善である。労働者の行動を観察して、それを科学的に検討し、標準化する。これにより、生産効率を引き上げていった。それは単純労働中心の経済では、一定の合理性があった。しかし、経済が発展するにつれて、その焦点は生産性の追求から人間性の活用へと移行した。
1950年代、米国を中心に経済が安定的に成長して、企業規模が拡大していった。それに伴い、事業の多角化が進んだ。当時の事業計画は、各部署が達成すべき数値を土台に、積み上げ式で立案されていた。経済が長期的に安定していたため、予算を積み上げ、それを達成するということは比較的容易であった。
しかし、1960年後半、経済成長が停滞した。経営環境における不確実性が増していくと、企業では経営戦略が求められるようになった。その中で、イゴール・アンゾフは、戦略的意思決定の重要性を説いた。戦略的意思決定とは、不確実性の高い環境に対し、自社の経営資源をどう活用するかを決めることだという。そして、その意思決定を土台として、行動計画を定めるべきだと主張した。
1970年代、経済がさらに停滞すると、経済成長に合わせて事業を多角化するだけでは立ち行かなくなった。その結果、事業を再編する必要性が高まっていく。このとき、ボストン コンサルティング グループ(BCG)が開発した「成長/市場シェアマトリックス」、つまり「BCGマトリックス」が広まった。これは、縦軸に市場成長率、横軸に相対的市場シェアをとり、事業を「金の成る木」、「花形(エース)」、「問題児」、「負け犬」の4つに分類をする。
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