17世紀、ドイツの偉大な数学者ライプニッツが、「四則演算計算機」を発明した。計算はすべて手計算でおこなわれていた時代にあって、これは画期的な発明だった。彼はこの発明が、会計士、資産管理者、測量士、航海者、天文学者といった専門家の「知能」の一部を代替することを理解していた。人間の知能を代替する人工知能の研究は、この時点ですでに始まっていたといえる。
ライプニッツの発明から2世紀後の19世紀、英国の数学者ブールは、「論理的推論」を四則演算によって体系化する試みをおこなった。論理的推論とは、三段論法に代表されるような、論理的に結論を導き出す考え方のことだ。論理的推論を四則演算によっておこなうことを「論理演算」と呼ぶ。論理演算では、「馬または牛」は「馬+牛」のように和算で、「馬かつ雌」は「馬×雌」のように積算で表現される。これはまさに今日の「プログラム」の考え方と同じだ。
1936年になると英国の数学者チューリングが、アルゴリズム(計算方法)さえ与えれば、どんな論理演算も実現できる計算の仕組みを考案した。「チューリング・マシン」と呼ばれるその仕組みは、ハンガリー出身の米国の数学者ノイマンらによって設計され、「真空管計算機」として実現された。現在のパソコンやスマートフォンなどのコンピュータは、真空管よりもずっと小型で高速計算可能な半導体で作られているが、その仕組みはノイマンの設計そのものだ。こうした計算機の発明が、「人間の労働を機械に代替させる」という試みを大きく加速させていった。
ノイマンが真空管計算機を設計・製造した少し後の1956年、米国のダートマス大学で「ダートマス会議」と呼ばれる歴史的な国際学会が開かれた。このダートマス会議において、「人工知能(artificial intelligence)」という言葉がはじめて登場し、これを皮切りに人工知能の研究は「ブーム」となった。このブームはダートマス会議によるものを第一次ブームとし、1980年代に起こった第二次ブームを経て、現在の第三次ブームへと続いている。
現在の第三次ブームを牽引しているのは、「人間の脳の仕組みを模した」とされる「ニューラルネットワーク」だ。「人間の脳の仕組みを模した」と聞くと、まるで人間と同じように学習成長する機械が作られたように感じるかもしれない。しかし実際には、ニューラルネットワークは、脳や記憶に関する「仮説」にもとづいて、人間の脳のほんの一部を模したものに過ぎず、データを処理する工学的な「道具」でしかない。
人工知能に関して何度も「ブーム」が起こるのは、人工知能に関する「事実」と「期待」が混同されているからだ。過度な期待を呼び起こした末に、裏切られることを繰り返しているのである。人工知能を冷静に見つめるためには、科学的な「事実」と「仮説」を分けて考えることが大切だ。
1980年、米国の哲学者サールは「Minds, Brains, and Programs」という論文の中で、「強い人工知能」と「弱い人工知能」という2つの概念を提唱した。「強い人工知能」とは、いわば知能を持つ機械であり、そこに精神が宿っていることを指している。
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