2009年6月14日、当時雇用均等・児童家庭局長であった著者は、大阪地検特捜部に逮捕された。容疑は、ある団体が障害者団体であるという偽の証明書を部下に命じてつくらせ、不当に発行させたというものである。
このときに使われたのが、郵便料金が格安になる障害者用の郵便割引制度だ。偽の障害者団体は、虚偽の申告をし、これを家電量販店のダイレクトメールなどの商業郵便に悪用していた。このときに、この団体が障害者団体であるという証明書が、当時(2004年)その発行権限を持っていた著者の名で発行されていたのである。
のちに明らかになった真相は、部下の係長が時間と手間を省くために、独断で著者名の証明書を発行したということだった。しかも、この部下は、その団体が虚偽であるということに気づいていなかった。ルールを破ってはいるが、そこに悪意や私欲はなかったのである。
しかし、大阪地検は別のストーリーをつくっていた。著者が当時手掛けていた法案を国会で通すために、ある国会議員に気を遣い、この議員から頼まれた偽の証明書の発行を受け入れた、という筋書きだ。もちろん、これは現実とはかけ離れたものであった。
著者の勾留は、未決のまま、2009年11月24日に4度目の保釈申請が受理されるまで続くこととなった。
当初著者は、取り調べでは話を聞いてもらえる、真実を話す機会が与えられると考え、ほっとしたという。しかし、その期待は裏切られることとなった。
取り調べのあいだ、検察は自分たちのストーリーにあてはまる話は一所懸命聞き出そうとする。だが、都合の悪い話は一文字も調書にのせようとしない。自分たちの裏付けに使えるか、使えないか。その一点のみで証拠が検討され、使えないものは無視される。話のなかから、都合のいいような形でつまみ食いして調書を書いていく。そうした検事の仕事ぶりに著者は直面することになった。
特に憤りを感じたのは、複数の検事が「執行猶予がつけば大した罪ではない」と発言したことであった。つまり、事実かどうかに関わりなく、罪を認めれば、罪が軽くなるという発想である。こうした思考が検事全体に蔓延しているのが感じられた。
信用を何よりも大事にする著者の価値観からすると、これはとうてい受け入れられないものであった。また、検事の多くは、政治家やキャリア官僚は「悪」だと思い込んでいる節がある。その思い込みの強さにも著者は辟易とした。
2010年1月27日、大阪地方裁判所で裁判が始まった。裁判では、証人の多くが、検察が取った供述調書の内容が本人の意に反したものだと証言した。調書にサインをしたのは、「一晩でも二晩でも泊まっていくか」「特捜をなめるのか」など、脅しによる不当な捜査があったためという事実が明るみに出た。
2010年9月10日、「無罪」の判決が言い渡された。9月21日、検察が上訴権を放棄。著者の無罪が確定したのである。
事件はそれで終わらなかった。無罪が確定した日の夜に、事件の主任検事は、証拠隠滅容疑で最高検察庁より逮捕される。著者の犯罪の証拠とされたデータを改竄したためだ。さらには、改竄を知りながら隠蔽したとして、主任検事の上司だった元特捜部長と元特捜副部長の二人が、犯人隠避容疑で逮捕された。言ってもいないことを調書に書くことのある検察関係者にも、物的証拠の改竄は考えられないことだったのだろう。
この事件により、「検察の顔」とまでいわれた特捜部の解体論にまで話が及んだ。そのような状況をうけて、最高責任を負う検事総長が異例の謝罪会見を行い、引責辞任をした。
2010年12月24日、最高検察庁はこの件に関して、検査結果報告書を公表する。著者は、最高検察庁が事件の検証をすると聞いて期待していた。しかしその作成プロセスと内容には、大きな違和感を覚えずにはいられなかった。
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