ファクトリエ創業者山田敏夫の原点は、生まれ育った熊本の洋品店にある。幼少期から洋服が常に身近にあったため、「いずれは店を継ぐ」という思いを自然に抱くようになった。
しかし昔はまったく自分に自信がなかったという。スポーツもダメ、勉強もダメ。10代のうちは劣等感のかたまりだった。しかしそのような自分を冷静に捉え、前に進む道を見つけていった。そして「うまくいかなくても努力を続ければ、少しずつゴールに近づけるのではない」と考えるようになった。
最初の転機となったのは、大学時代のフランス留学だ。このとき驚異的な努力が実を結ぶ体験をする。はじめフランス語がまったくわからなかった著者は、すべての講義を録音し、一言一句もらさず文字におこした。そこから辞書を引き、内容を理解していくという地道な作業を1年続けた。こうして身につけたフランス語は、イタリアの高級ブランド「グッチ」パリ店での経験につながる。
グッチでの仕事を通じて、著者のものづくりに関する考え方や常識は覆った。そこにあったのは、商品の売り手が「ものづくりの物語」を伝えるという文化だ。日本ではブランドやデザインが重視される一方で、それがどこで作られているのかは注目されない。すばらしい織りや染めの文化があるのにもかかわらず、である。
こうして「日本のものづくりの力を最大限に活かした、一流の世界ブランドをつくってみせる」という漠然とした思いとともに、日本へ帰国することになる。
日本に帰ってきた著者は、ひとまず就職活動を始めた。「優柔不断で決断力もなく、流されやすい」という自己認識があったため、大多数への同化を恐れて大企業からの誘いを断り、あえて社員数数十名の営業職から社会人生活をスタートする。
社会人になってから発揮した著者の特筆すべき能力は2つある。人並み以上の努力と行動力だ。「行動しないことは、自分の人生を諦めて放棄したことと同じ」。そんな思いで、積極的に仕事に取り組んだ。
能力がなく不器用であることを自認する著者だが、努力は裏切らなかった。最初の勤務先では入社2年目で営業トップになり、転職先のアパレル会社でも倉庫のアルバイトから社長室付きへステップアップした。
しかし仕事にやりがいを感じる一方で、「日本発のブランドをつくる」という思いをいつのまにか忘れていたことに気づいた。この頃から著者は、ビジョンを実現するための方法を考え始める。日本の高い技術力を生かした衣服をネットに絞って販売すれば、中間コストを省いて工場にも利益をもたらすことができるはず。ならばまずは契約する工場探しだ。
こうして2012年1月、トランクに荷物を詰めて日本各地の工場を訪ねる旅、のちにファクトリエへとつながる壮大なものがたりが始まった。
「世界に誇れるメイド・イン・ジャパンのブランドをつくる」。その信念を胸に、著者は日本の生地工場や縫製工場を巡り、現状を知ることから始めた。日本の繊維産業は、想像を上回るスピードで衰退していた。国内アパレル品の国産比率は、2017年だとわずか2%。
3,400冊以上の要約が楽しめる