現在大きな疑惑として報じられている「日米密約」問題。2001年以降の外務省は、資料を破棄して、この問題を隠蔽した。これにより日本は、アメリカの方針に従うしかないという末期的な状態に陥っている。財務省や防衛省の資料改ざん・隠蔽問題も、その源流が過去の外務省の日米密約問題への誤った対応にあったことは間違いないだろう。
密約はどんな国同士の交渉にも存在する。だが、日米間の密約には異常な点がある。アメリカ側はその記録を保管しており、作成から30年経った文書は基本的に機密を解除し公開することが、法的に決められている。これに対して日本は、密約の存在を否定しており、国会で嘘をついてもかまわないという原則が1960年代に確立されていたようだ。結果として、日本では、ある内閣の結んだ密約が別の内閣には引き継がれないという、近代国家にあるまじき状況が起こっている。
岸信介や佐藤栄作のような戦後日本を代表する政治家たちは、密約は個人間で交わすものだとし、次の政権に引き継ぐ必要はないと考えていた。しかし、アメリカは、密約とは政府対政府で取り交わすもので、政権が変わっても受け継がれると考えている。国際法上、アメリカの認識が正しい。
この深刻な認識の違いが表面化したのが1963年である。核兵器を積載した米艦船が日本に寄港していたという疑惑が生じた。このとき、池田勇人首相や志賀健次郎防衛庁長官は、明確にその事実を否定した。しかし、実際には1953年から核兵器を積んだ米艦船が日本に寄港し、核攻撃の演習などを行っていた。それは、1960年に交わされた密約文書によって、アメリカ政府は核兵器を積んだ艦船の日本への寄港は了承済みだと考えていたためである。
アメリカ側は池田首相らの発言を問題視し、密約文書の内容を提示した。ところが数年経つと、密約の中身はまたも引き継がれていない。そのため、アメリカ側は繰り返し日本にその内容を説明することになる。それでもなお日本政府は、核兵器を積んだアメリカ艦船が日本に寄港したことはないと、明白な嘘をつき続けた。
日本の大臣は短い任期で入れ替わる。そのため、複雑な密約の内容を理解していないという事態はあり得る。だが、そこでの交渉は外務省の報告書に記録されているはずなので、官僚は把握していなければならない立場だ。
著者は外務省が公開している原資料にあたり、その筆跡を専門家による鑑定にかけた。そして、それが改ざんされていることを知った。おそらく改ざんの目的は、密約が存在しないという従来の見解を維持するためだろう。
戦後日本の外務省で、もっとも優秀な外交官とみなされているのは東郷文彦である。しかし彼は、結果として密約文書についての解釈と処理を誤り、これが現在まで続く政治的混乱のきっかけとなってしまった。
元外務次官の村田良平は、1960年の安保条約交渉時について、こう見解を述べている。日米間で、核兵器を搭載する米国艦船や米軍機の日本立ち寄りについての事前協議は必要ないという密約があったというのだ。村田は、政府や国会答弁で一度行った答弁を変えることは許されないという不文律を批判した。そして、国民を欺き続けることをやめるべきだと主張した。
日本の外務省にはこんな伝統がある。日米安保や北朝鮮問題といった重要な機密については、次官、局長、担当課長の三人だけが知っていればよいという伝統だ。結果として、外務省内で過去の歴史的事実が共有されず、そのポストにいる2年間での情報しか集まらないことになる。
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