「Chumby」はインターネットにつながる世界最初期のIoT端末だ。物語の始まりは、「Chumby」の生産委託先を探すために訪れた中国深圳から始まる。そこには、秋葉原をはるかに凌駕するカオスに満ちた電子部品の蚤の市があった。尋常ではない量と種類の電子部品市場の周辺には、最新技術が得られる洋書が山積みにされた書店がならび、車を1時間も走らせれば、船を満載にできる生産量を持つ工場が乱立する。著者は当地で起ころうとしている次の革命への恐怖と興奮で武者震いしたという。
「Chumby」がもつオープンソースハードウェアという性質は、工場と契約を進めるうえでは有利に働いた。こちらがオープンになれば、工場側もオープンになる。選定した委託工場で見たのは献身的に仕事にはげむうえに、腕がいい労働者の姿だった。一見、常識とはかけ離れた生産現場の実状にも触れる。機械化による連続生産が必ずしも安価であるとは限らないのである。高価な機械を購入するより、人間がねじ止めしたほうが安価であることも多いのだ。
こうして、安価で大量に生産するための自動化と手作業のバランス、高い技術力をもつ中国人労働者など、現地工場の実態が次々と明らかになる。アメリカと中国の確執が取りざたされて久しい。しかし、大量生産をなし得るためには、中国に依存することは選択肢として残すべきだし、そのための技術力もノウハウもそこにはある。
著者が見てきたのは、中国深圳の工場だけではない。PCB基板、USBメモリ、服のジッパーなどのさまざまな工場で、大量生産を安価に効率的に実現する方法を目の当たりにしてきた。こうした生の現場の中で培われた委託先工場へ発注するためのその最初の一歩は明確で完全なBOM(部品表)にある。設計ツールなどから出力できるBOMでは、プロトタイプを再現できても製造原価は把握できない。部品の指定は、正確に品番指定することはもちろんのこと、形状や電圧定格に加えて最小注文数量やリードタイムまで指示する必要がある。細部にまで目を向けないと利益は出せないのだ。
量産体制を実現するための量産設計も重要だ。通常、品質検査は厳しければ厳しいほどよいと考えられる。しかし、それでは利益を出すことはできない。許容範囲を明確にし、歩留まりを向上させることが重要なのだ。品質基準は、高品質ではないけれど製品として問題なく機能するというラインに設定しなければならない。そして最後に見積もりを受領する。各部品の価格や工賃だけではなく、余剰部品、工場のオーバーヘッド、送料に関税も考慮に入れて製造原価を把握する必要がある。
山寨と呼ばれる人たちがいる。もともとは水滸伝に登場した梁山泊に由来するこの言葉は、ゲリラ的な隠れ家としての意味合いを持つ。中国独自の知的財産にもとづきオリジナル商品の特徴や機能を模倣した製品を作り出す。しかし、山寨は単なる猿まねに留まると考えてはいけない。ほとんどないも同然の費用で複数の知的財産を組み合わせて、新しい異質な組みあわせを生み出している。
このようなイノベーションを可能にするのが、ゆるいことで有名な中国の知的財産の仕組みだ。西洋モデルの知的財産システムは、不可逆的で独占的な地位を築きやすい。しかし中国型の知的財産システムは、最新の技術にもとづき低価格化等の工夫をした製品を次々に開発することを可能にしている。
中国では会話機能はもちろんのこと、BluetoothにMP3プレイヤーまで内蔵した携帯電話が12ドルで手に入る。中国ではこうした電話を製造するのに必要な基盤レイアウトや回路図、ソフトウェアなどを「フリー」で手に入れることができる。
そこで著者は西洋式の知的財産システムで特許侵害と認定されない方法で、製品開発することを思いつく。まずは、損害賠償訴訟を起こす可能性がある特許保有者に対する「ポイズンピル」条項だ。特許訴訟を起こそうとする行為をした際に、オープンソースの成果物を利用できなくする。
データを入手する際は、公開されかつ検索可能なものを使うとともに、知らず知らずに権利承諾をしたことになるシュリンクラップといった契約を含んでいないかを慎重に確認する。
中国式の「オープン」な知的財産システムは、驚異的な技術革新を生み出す一方で、ニセモノを生み出す。ニセモノを見つけ出すためには、高度なハッキング技術が必要だ。こうした実情を背景にアメリカではニセモノをサプライチェーンから排除する取り組みを強化している。
しかし、規制を強化して単純にニセモノを排除する動きに著者は警鐘を鳴らす。中国式のアイデアにアクセスしやすいエコシステムは、最新技術やアイデアに触れる機会を与えてくれる。欧米式の知的財産システムでは、巨大な利益を得るパテント・トロールを生み出す。一方でアイデアを独占してその権利を売買する方法は、深センのIPシステムとは相容れない。アイデアはコミュニティの所有物で独占できないと考えているのだ。
著者はオープンソースハードウェアを実際に開発していくことに力を注いだ。その初期に開発したのが「Chumby」だ。Wi-Fi経由で常時ネットに接続された情報端末で、いつでも気軽にブログやチャットを楽しむことができる。そしてハッカーは気が向いたときに、いつでもいじくり回して改造できる。
こうした思想が投資家からの支援を呼び、2008年に発売した「Chumby」だったが、2012年には販売を終了した。リーマンショックやiPhone登場のあおりをまともに受ける形となってしまった。Apple製品のデザインとユーザーエクスペリエンスは莫大なコストが実現しており、スタートアップ企業にはとても太刀打ちができないと著者は語る。
ムーアの法則が示唆するテクノロジーの進化の速さは、スタートアップ企業の開発意欲を減退させる。少ない資金を開発に振り向けるより、待っている方がずっと大きな成果が得られるからだ。
しかし、こうしたトレンドは変わりつつある。ムーアの法則が減速しているのだ。このことは、小規模なイノベーターやオープンソースが活躍する土壌となる。中小企業とオープンソースの相性は良い。そして、修理ニーズの増加により回路図やスペアパーツ需要が増加するだろう。「Chumby」のもつオープンソースハードウェアという概念は、時代に先んじていたためムーアの法則の犠牲になったが、オープンソースの概念はまさにこれから求められるはずだ。
ムーアの法則が減速しているなら可能だろうという考え方のもと、開発に着手したのがノートパソコンだ。それは「Novena」と命名された。通常は数百万ドルをかけて開発製造されるが、著者がクラウドファンディングで募集した目標金額はわずか25万ドル。持っているノウハウや独創的な設計、サプライチェーンといった独自性の高いシステムでこれを実現した。あえてハックしやすいようにむき出しのボディーで開発されたモデルのほか、木製の家宝モデルもラインアップに加えた。「Novena」は、世界初のオープンソースのノートパソコンとして製品を出荷することができた。その後はオープンソースのノートパソコンを作るという新たなプロジェクトが複数立ち上がっており、オープンソースハードウェアという概念が広がることに一役買っている。
著者とMITメディアラボのジー・チー氏がコラボして、新たなオープンソースハードウェアである「Chibitronics」の開発を始めた。「Chibitronics」は工作や教育に使えるもので、シールのように剥がしてくっつけられる電子回路を実現している。一人でも面白がってくれる人がいたら、という思いでわずか1ドルを募集したクラウドファンディングだったが、予想を大幅に上回る6万ドルもの資金を集めた。期日通り出荷することもできた。
ハードウェアのクラウドファンディングでは、資金を集めたのちに出荷できないことが多く、総じて詐欺と思われていることを懸念していた。後進のスタートアップがクラウドファンディングを有効な資金源とできるように、「Chibitoronics」は期日通りに出荷することにこだわったのだ。
「エンジニアリングとリバースエンジニアリングは同じコインの裏表にすぎない。」エンジニアリングは創造的な活動であって、リバースエンジニアリングは学習的な活動なのだ。人間は真似をする中から学ぶことが人間性の一部だと知っている。にも関わらず、リバースエンジニアリングは過小評価されているといえるだろう。ハックする権利は健全な文化の基盤になっているのだ。
このようなハッカー精神は、人間の問題解決能力を表現する究極の形である。だれかに決められた社会や構想やしきたりではなく、自分自身の目で世界がどのようなものか見極める能力だといえるだろう。
どんなハードウェアだとしても、それをハックするコツは、外装を開けてみてデバイスの影響を与えずに検査用プロープを差し込めるポイントを見つけることだ。本書ではマイコンやSDカードの具体的なハッキング方法も綴られている。
著者のハッキングの目は生物システムにも向けられる。きっかけは、肺炎マイコプラズマの代謝経路を示す科学的な図だ。著者が10歳の頃にみたAppleⅡの回路図との類似点に気づき、解明できるという希望を見出した。実際に生物学者とハッカーのアプローチ方法は似ているといえる。生物学者とハッカーは、複雑なシステムから学習するために、リバースエンジニアの手法を使ってアプローチする。そのために使うテクニックも似通っている。
著者は、DNAやRNAがビット表示できること、そして豚インフルエンザを致命的な変異体に変えるには、2ビットの塩基対を置き換えるだけであることに気づく。自然界では致命的な変異体を生み出すために、突然変異というハックを自力でおこなっているといえるかもしれない。
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