大前研一氏は、世界的に有名な経営コンサルティング会社マッキンゼー&カンパニーで日本社長、本社ディレクター、アジア太平洋地区会長などを務めたが、その前には日立製作所で原子炉の設計に関わる仕事をしていた。当時、大前氏は周囲の人間の行動に困惑し、不満を感じていたという。そして数年間を経て、不満の根源にあったのは日本人の「よりかかり」の思想だということが明らかになる。
このことに気づいたのは大前氏が入寮していた独身寮の寮規則がきっかけだった。そこには事細かに「暖房使用規則」が書かれていた。「倒れても安全な石油ストーブ」を販売し、「スイッチを止め忘れても、高温になると自動的に止まる電器ストーブ」を宣伝している企業が、こともあろうか自社員に対して火災上の理由からそれらの器具の使用を禁じていたのである。
規則自体も理解しがたいのだが、「この程度の規則ならどこにでもある」「(こんな規則を)守っているバカはいないだろう」とすましてしまう周りの従業員も問題であった。理屈で説明のつかないことに対して疑問に思うことなく、疑問を感じたとしても「不思議に思う自分の精神のほうがおかしいのかも」という気分にかられてしまっているのである。
以降、大前氏はこの現象を「悪魔のサイクル」と名付けるとともに、日本人の共属心理に依拠した「よりかかり」の性格の解明に着手することになった。
日本人の「よりかかり」思想は、成長の過程においてどのように形成されるのだろうか。
赤ん坊に添い寝することは子育てにおいてよく見られる光景だが、実はこの添い寝からすでに「よりかかり」が始まっている。突然泣き始めた赤ん坊のために添い寝してあげているつもりの親が、「泣けば添い寝してくれる」と打算的に考えている赤ん坊に馴らされてしまっているのだ。スキンシップそのものが悪いわけではないが、過度なスキンシップは幼少期の原始感覚を失わせ、精神的な「よりかかり」からなる連帯感をいたずらに促進させてしまう。「悪魔のサイクル」はたった一歳の頃から日本人のなかに植え付けられているのである。
また、子供が小学校に上がるまでの6年間、大人は自分たちを犠牲にして子供中心の家庭生活を送り、幼稚園の時分から子供に楽器を習わせたりしている。こうした早期教育は一見、芸術領域での有能な新人を生み出すことに繋がっているように見えるかもしれない。
しかしながら、エゴイズムと愛情を錯覚したこれらの行動は結果的に子供の感受性を奪ってしまっていることに大人たちは早く気付くべきだ。日本の若き音楽家が結局大成できないのは、こういった大人たちの共属感情に基づく行動にあるのではないか。
小学校の時代はもっとも日本人の画一性を潜在的に促進する時期である。「前へ倣え」という号令で一直線に並ぶ児童たち。もしこれに従わなければ担任の先生から怒られるか、仲間から爪弾きにあってしまう。十歳前後は自我の形成期であるにもかかわらず、この時期に子供たちは自己埋没を強いられている。
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