麻酔なしで抜歯に耐えることができる読者はいるだろうか。麻酔が存在しなかった頃の人々はどうしていたのだろう。実は、歯を抜く痛みよりも歯痛のほうがましといって、虫歯になろうと歯が折れようと、ひたすら我慢していたという。だが、2人のアメリカ人歯科医師、ホレス・ウェルズとウィリアム・トマス・グリーン・モートンが、自分を実験台にして麻酔を発見したため、世界が大きく変わった。
ウェルズとモートンは、ボストンで歯科医院を一緒に経営していた。ある日ウェルズは、別名「笑気ガス」と言われる亜酸化窒素を扱った公開実験を見てひらめいた。亜酸化窒素を吸った客が会場中を狂ったように踊り始め、すねに深い傷を負ったが少しも痛そうにしていなかったのだ。歯を抜くときに患者に笑気ガスを吸わせたらどうだろう。ウェルズは自分で亜酸化窒素を吸って歯を抜いてもらうのがいちばんだ、と自らを実験台にすることにした。
実際にウェルズが亜酸化窒素を吸い込むと、顔から血の気が失せていった。そこで歯をねじりながら引き抜いてもらう。この間ウェルズは痛みを感じなかったという。このとき彼は、亜酸化窒素が麻酔に使えると確信した。そして、亜酸化窒素の鎮痛効果を示す公開実験の機会を得るが、残念ながらウェルズは実験に失敗してしまい、完全に面目を失ってしまった。
一方、ウェルズのかつてのパートナーであったモートンは、麻酔として硫酸エーテルを用いることを検討していた。当初、実験はなかなか思うようにいかなかったが、原因はエーテルの純度にあるとわかると、モートンはすぐさま純粋なエーテルを手に入れた。そして、自分を実験台にして実験を成功させてしまった。
モートンの妻はその日のことをこう話している。「(中略)その晩おそくに帰宅した夫はひどく興奮していました。でも、うれしくてたまらない様子で、何があったのか落ちついて話せないほどです。私も気持ちが高ぶって、早く聞きたくて仕方がありません。夫はようやく自分の体で実験したことを話してくれました。彼がひとり研究室で死んでいたかもしれないと思うと、私は切なくなりました」。この時のモートンは、もはやだれも止められなかった。
更なる研究を重ねたのち、モートンはエーテル麻酔の公開実験に成功した。ウェルズの大失敗以来はじめて、麻酔ガスに対する見方が大きく変わった瞬間であった。
3,400冊以上の要約が楽しめる